9月26日 年間第25木曜日

第一朗読  コヘレトの言葉 1:2-11
コヘレトは言う。なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい。
太陽の下、人は労苦するが すべての労苦も何になろう。
一代過ぎればまた一代が起こり 永遠に耐えるのは大地。
日は昇り、日は沈み あえぎ戻り、また昇る。
風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き 風はただ巡りつつ、吹き続ける。
川はみな海に注ぐが海は満ちることなく どの川も、繰り返しその道程を流れる。
何もかも、もの憂い。語り尽くすこともできず
目は見飽きることなく 耳は聞いても満たされない。
かつてあったことは、これからもあり かつて起こったことは、これからも起こる。
太陽の下、新しいものは何ひとつない。
見よ、これこそ新しい、と言ってみても それもまた、永遠の昔からあり
この時代の前にもあった。
昔のことに心を留めるものはない。これから先にあることも その後の世にはだれも心に留めはしまい。

福音朗読  ルカによる福音書 9:7-9
(そのとき、)領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。というのは、イエスについて、「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」と言う人もいれば、「エリヤが現れたのだ」と言う人もいて、更に、「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と言う人もいたからである。しかし、ヘロデは言った。「ヨハネなら、わたしが首をはねた。いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。」そして、イエスに会ってみたいと思った。

祈りのヒント
各地でイエスやイエスの弟子たちによって病気が癒されていることが噂になっている中、ヘロデはイエスに会ってみたいと思ったようです。
イエスは何者なのか、ヘロデはイエスに直接問い尋ねてみたかったのかもしれません。
「イエスは何者なのか」
この問いは、今も、信徒一人ひとり、また信徒でなくても、イエスと出会った人、宗教や哲学の研究者が抱く問いかもしれません。
(毎日のみことば 2024-09-26)

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