毎日のみことば
9月27日 聖ビンセンチオ・ア・パウロ司祭
第一朗読 コヘレトの言葉 1:2-11
コヘレトは言う。なんという空しさ
なんという空しさ、すべては空しい。
太陽の下、人は労苦するが
すべての労苦も何になろう。
一代過ぎればまた一代が起こり
永遠に耐えるのは大地。
日は昇り、日は沈み
あえぎ戻り、また昇る。
風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き
風はただ巡りつつ、吹き続ける。
川はみな海に注ぐが海は満ちることなく
どの川も、繰り返しその道程を流れる。
何もかも、もの憂い。
語り尽くすこともできず
目は見飽きることなく
耳は聞いても満たされない。
かつてあったことは、これからもあり
かつて起こったことは、これからも起こる。
太陽の下、新しいものは何ひとつない。
見よ、これこそ新しい、と言ってみても
それもまた、永遠の昔からあり
この時代の前にもあった。
昔のことに心を留めるものはない。
これから先にあることも
その後の世にはだれも心に留めはしまい。
福音朗読 ルカによる福音書 9:7-9
(そのとき、)領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。というのは、イエスについて、「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」と言う人もいれば、「エリヤが現れたのだ」と言う人もいて、更に、「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と言う人もいたからである。しかし、ヘロデは言った。「ヨハネなら、わたしが首をはねた。いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。」そして、イエスに会ってみたいと思った。
祈りのヒント |
聖なるものに対するあこがれは、どの人にもあるのです。悪に誘われ、つい罪を犯してしまった「ヘロデ」 しかし、彼もヨハネの話を聞いていて、イエスにも、会ってみたいと思ったのです。 聖でありながら、悪も持つ人間性、肯定的でありながら、否定的でもある私たちの頭の回路。 それを正しく保つために祈りは欠かせないし、識別することが大切なのです。 |
(毎日のみことば 2018-09-27) |