9月27日 聖ビンセンチオ・ア・パウロ司祭

第一朗読 ヨブ記 3:1-3、11-17, 20-23
ヨブは口を開き、自分の生まれた日を呪って、言った。
わたしの生まれた日は消えうせよ。男の子をみごもったことを告げた夜も。
なぜ、わたしは母の胎にいるうちに死んでしまわなかったのか。せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか。
なぜ、膝があってわたしを抱き 乳房があって乳を飲ませたのか。
それさえなければ、今は黙して伏し 憩いを得て眠りについていたであろうに。
今は廃虚となった町々を築いた 地の王や参議らと共に 金を蓄え、館を銀で満たした諸侯と共に。
なぜわたしは、葬り去られた流産の子 光を見ない子とならなかったのか。
そこでは神に逆らう者も暴れ回ることをやめ 疲れた者も憩いを得(る。)
なぜ、労苦する者に光を賜り 悩み嘆く者を生かしておかれるのか。
彼らは死を待っているが、死は来ない。地に埋もれた宝にもまさって 死を探し求めているのに。
墓を見いだすことさえできれば 喜び躍り、歓喜するだろうに。
行くべき道が隠されている者の前を 神はなお柵でふさがれる。

ルカによる福音書 9:51-56
イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。イエスは振り向いて二人を戒められた。そして、一行は別の村に行った。

祈りのヒント
何かを決意し、成し遂げようとするとき、周りにいる人の全てがいい顔をすることはなく、ある人は拒絶し、邪魔をすることもあります。イエスにもそのようなことがあったようです。
自分にとってネガティブなものに対し、どう対処するか。
攻撃タイプのヤコブやヨハネを戒めたイエス。どのような言葉をかけたのでしょうか。
(毎日のみことば 2022-09-27)

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