9月27日 聖ビンセンチオ・ア・パウロ司祭

第一朗読  コヘレトの言葉 3:1-11
何事にも時があり天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時 植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時 破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時 嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時 抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時 保つ時、放つ時 裂く時、縫う時
黙する時、語る時 愛する時、憎む時 戦いの時、平和の時。
人が労苦してみたところで何になろう。
わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。

福音朗読  ルカによる福音書 9:18-22
イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは答えた。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」
イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じて、次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」

祈りのヒント
イエスがどういった人なのか、みんないろいろな憶測をもって噂をしていたようです。でもイエスが最も気にしたのは、いつも近くにいる弟子たちが自身をどのように捉えているかだったかもしれません。
ペトロの答えにイエスは満足したでしょうか。
もし同じ問いをされたら、私たちは何と答えるでしょうか。
(毎日のみことば 2024-09-27)

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