祈りと生活

意識の究明――「自由」のプロセス

神のはたらきに気づき、愛に成長するための手段

意識の究明は、日々の生活における小さな識別です。それは人生を十全に生きていくための「自由」のプロセス、つまり「~からの自由」と「~への自由」からなるプロセスなのです。意識の究明の目的は、日常生活で私たちが様々なことに直面する際に、私たちの中に起こっている内的な現実と霊の動きを見つめ、そこに注意を払うことです。そして、究明をすることの最終目的は、神がどこに私たちを導いておられるかを見出していくために、日々、識別しながら生活していくということです。 神は、私たちを信じる者となるように呼ばれる体験や愛するようにと招く体験の中におられるのです。また、すべての人々、物事、出来事の中に神を見出すことを可能にする体験の中にもおられるのです。こうして、私たちは活動における観想者となり、主が呼ばれる場で愛し、奉仕することができるようになるのです。

識別の根本的な態度は、主に向かって開かれている姿勢と信頼の心です。それは真に自由な人のしるしでもあります。内的束縛からの自由、自分を強制するもの、強迫観念、執着心、とらわれ、所有欲、そして社会的地位や富、物や人の奴隷になることからの自由、また、利己心、わがままなどからの自由、さらに、恐れや怒り、依存、支配欲などからの自由、自らの生い立ちや人生設計、また、様々な外的圧力、偏見、不確実さなどから自由になっていくのです。そして私たちは愛することと信頼することへと自由になっていくのです。愛されることをゆるし、本当の自分自身になり、人とかかわり、傷ついた人間関係がいやされるにまかせるのです。私たちは貧しく必要にも事欠く人々との連帯に生きるため、また、危険を冒して何かに取り組むためにも自由が必要なのです。他者に自らを与え差し出すために、そして神のみに安定感を求めて自らを明け渡すために、自由を必要とするのです。

意識の究明の5つのステップは、人間同士の愛に見られるダイナミックな動きの5つのプロセスと一致します。本当に愛している人に対して、私たちはいくつかのことばを次のような順序で投げかけたいとは思わないでしょうか。 ①「ありがとう」 ②「助けてください」 ③「あなたを愛しています」 ④「ごめんなさい」 ⑤「私と共にいてください」 と。

そこで、意識の究明においては、神との関係についてこのプロセスをたどってみましょう。

①「神様、ありがとうございます‥‥あなたは何とすばらしい方でしょう。」

今日いただいたすべての恵みを思い起こしてみましょう。そして、出会った人々、出来事、状況などを通して神はどのように御自身を示してくださったか(神の現存)を意識します。

②「助けてください。」

神の光のもとに、私はどれほど神が共にいてくださったこと(神の現存)に対して鈍感であったか、また、どれほど盲目であり、神に耳を傾けようとしなかったかということに気づき始めます。 私が、見ることができ、聞くことができるよう、神に助けを願います。

③「しかし主よ、あなたを愛します。」

この日、私が盲目であり、また、主に耳を傾けようとしなかったことが自然に意識にのぼってきます。人は愛の関係の中にある時、どれほど自分が愛さなかったかということに気づくために、過ちについての客観的なリストを調べる必要はありません。そこでは、主が共にいてくださったこと(主の現存)に気づかず、応えなかったことを意識するようになるのです。

④「ごめんなさい。」

これは私を気落ちさせる時ではなく、痛悔を通して神への感謝と深い交わりへといたる時なのです。 「主よ、私はあなたにふさわしくない者です。」 しかし、放蕩息子の父親のように、神は、なお、私を宴会の席へと招いてくださっているのです。

⑤「主よ、私と共にいてください。‥‥あなたの恵みによって明日はもっとあなたを愛したいのです。」

Alwyn Fernandes, GROWING IN LOVE より  

(生活の霊性-生活の霊性 5)

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