こころの散歩

幼子イエスさまへの手紙

ぼくのお友だちイエスさま
「うそをついちゃダメ」といつもぼくは言われているんだ。その通りさ。でも、本当のことを言ってしまうと問題になっちゃうんだ・・・
きのうパパがすごく怒ったんだ。ぼくがパパの友だちの前で、パパがママを殴ったことを言ったからさ。大人って本当に勝手に怒るんだ。

ぼく、J君やM君と遊んではいけないって言われているんだ。だけど寝る前にぼくは毎晩、幼子イエスさま、君に祈らなければならないんだよ。「すべての人は差別なくみんな兄弟姉妹なんだ」と教えてくれた君に。

ママはいつもぼくに「パパのようになりなさい」って言っている。でも、パパは病気を口実にして仕事を休むし、給料は飲んで使っちゃうよ。

ぼくが好きなこととパパとママが好きなこととは違うんだよ。だから時々反発して叫びたくなるのさ。パパがぼくに「黙りなさい!」と言うときは、たいてい自分が話したくないときか、何か考えごとをしているときで、「外に行って遊びなさい」と言うときは自分一人で静かにテレビを見たいときなんだ。

イエスさま、ぼくは”してはいけないこと”ばかりに囲まれてしまっているんだ。「これをしちゃいけない」「あれをしちゃいけない・・・」、 それと”しなければならないこと”にもね。ぼくたち子どもには、”ねばならない”という言葉ばかりあるんだから、「これもできる、あれもできる」っていうようなことはめったにないのさ。

大人がぼくと遊んでくれるのは自分が遊びたいときなんだ。ぼくが遊びたくないときでも遊ぼうとする。ぼくはまるで人形になったみたいだ。それなのに「子どもはわがままだ」と言う。ぼくは大人と遊ぶ時を選ぶことができないのに・・・ もちろん大人のわがままを注意することもできないのさ。なぜって、ぼくは子どもだから。

でも、イエスさま、君は「幼子のようにならなければ、天の国に入れない」と教えるために生まれてきたのでしょう?もしかしたら、今どき”子どもであること”は許されていないのかもしれない。ぼくは大人のようにずるがしこくて、自分中心で、うそつきで、心にも思っていないことを言わなければならないの?

イエスさま、大人たちに伝えて!
子どもであることは大人の半分ということではないし、悪いことでもないことを、それから、大人のおもちゃでもないことを。子どもにも子どもの考えがあることを認めてくれるように。

大人たちにちゃんと言っておいてね。一人の子どもはこの世に一人しかいない、かけがえのない価値をもっているものなんだということを。それはイエスさま、君が一番よく知っていることでしょう? ぼくに永遠の命をくださったのは君なんだから。
君の友だちより

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