2007年1月  2.平和と対話
 対話は、どんな民族においても、平和を生み出すために大切な条件です。
 対話は、個人にとって、個々の集団にとって、また個々の社会にとって、真実であるもの、善であるもの、正義にかなうものの探求を前提としています。 そしてこの探求は、自分が所属する集団の中で、また、対立する集団との間でも行われます。
 対話のためには、先ず何よりも開いた心と大きな抱擁力が必要です。すなわち、それぞれが自分の考えを説明しなければなりませんが、それと同時に、相手の説明にも耳を傾けねばなりません。お互いが置かれている状況を考慮しようとする気持すら無いなら、平和は成り立たないのです。対話に入るということは、おのおのが、相手との相違と 特殊な性質とを受け入れ合うことを前提としています。
 しかし、しばしば対話のプロセスを妨げるものがあって対話がすすまないのです。その妨げるものは何でしょうか。たとえば対話に向かうときに、片方が前もって一切何も譲らないと決定している場合、相手に耳を傾けるのを拒む場合、そして自分だけが正義の尺度だと言い張る場合、そのとき対話を妨げることになります。このような態度の裏にありがちなのは、一つの国の盲目的利己心やその指導者たちの権力への執着であります。それは統治権と国家の安全に対する時代遅れの考え方となります。結果として、国家崇拝が生じ、疑わしい目的のために間違った理屈を持って国民を動かそうとします。そして、心ある市民の批判精神や道徳感を圧し殺し、混乱させ、彼らを戦争へ赴くように駆り立てます。
 最後に加えなければならないのは、戦術的な、熟慮の上でなされるうそのことです。これは、言語の濫用であり、宣伝に関する最も手のこんだ技術に訴えることであり、対話を惑わし、ゆがめ、そして人を侵略へとそそのかすのです。
写真: 中司 伸聡