2007年1月  3.平和と教育
平和のための教育
 平和は創るもので、与えられるものではありません。ですから平和のための教育は、欠くことができないものです。あらゆる水準で平和を求める素朴な人の日常生活の模範から学ぶことができます。つまり、これらの素朴な人とは、自分たちの情欲を制御することによって、また互いに受け入れ合い、尊敬し合うことによって、自分たちの内面的な平和を手に入れ、これを外に輝かす個人と家庭です。彼らは非常に大きな試練を受けた、しばしば貧しい人々で、その経験によって得た英知は平和を創る過程で鍛え抜かれたものです。

平和の言語を話すこと
 言語は、心の思いを表現するため、また人々を一致させるためのものです。しかし現代社会では、あらゆることを、力関係や集団および階級闘争、敵・味方などで言い表すことによって、言語はむしろ分裂をつくるものになっています。たとえば、社会的な差別、さらには憎悪やテロ、およびこれらを支持するために都合のよい雰囲気が醸し出されてしまいます。
 もし、平和というより高貴な価値を求めるならば、耳を傾け理解しようとする望み、他人に対する尊敬、真の力である優しさや信頼などを産み出します。このような言語は、人を客観性へ、また真実および平和の小道へと導きます。この点で社会的な伝達機関は、崇高な教育上の任務を帯びています。国および国際レベルでの政治的対立に対する意見交換や論争における意思表現もまた大きな影響力を持っています。国家と国際機関の指導者らは、新しい言語、つまり平和の言語を見いだすことを学ばなければなりません。この言語は、それ自身で平和をもたらすための新しい機会を生み出すのです。

平和を意思表示すること
 平和を表す言語は、くりかえし意思表示されなければなりません。表現されなければ、芽生え始めた確信は弱くなり、平和の言語は、急激に信用されないうわべだけの言葉となります。平和をつくる人々が、もし自分たちの能力と責任に気づくようになれば、その数は非常に多くなるはずです。平和の実践こそが平和へと通じるのです。
 平和の実践は、平和の宝を探求する人々に次のことを教えます。すなわち、この宝は自分たちのできるあらゆる形態の平和を毎日毎日謙虚に作り上げているような人々に明かされ、提供されるものだということです。
 未来を担う若者たちに、以下のことを呼びかけます。
 若い人々よ、平和の人となられよ。あなたがたは、この偉大な共通の宝を産み出すことに全面的に参与する使命を受けた者です。あなたがたをだまして、嘆かわしい凡庸さに陥れる安易な道に最後まで抵抗しなさい。自分たちの間で仲よくやってゆけない大人たちが暴力行為に際してあなたがたを利用しようとすることが往々にしてあるが、そのような不毛な暴力に抵抗しなさい。自由に与え、生きていることを喜び、共に分かち合うなどのあなたがたの良識が示唆する小道を進みなさい。あなたがたは、国境などを気にしないで他の人々と友好的に交わるために、またその交流に必要な外国語を学ぶために、資源に恵まれない国々に私心のない奉仕をささげるために、あなたがたの新鮮な、先入観によって縛られていないエネルギーを活用したいと望んでいます。
写真: 馬 裕国