2007年2月  1.痛みと苦しみの意味
 今、苦しみに満ちた人類の歴史の中で、人々の血が最も大量に流された20世紀の戦争のことが思い起こされます。世界が平和に向けて歩み出してからは、薬物依存、エイズ、大都市の荒廃や環境の悪化によって引き起こされる種々の疾病が広がっています。また地域紛争などでたくさんの人が難民となり、親を失った子どもたちが苦しんでいます。社会悪や貧困による多くの犠牲者が今も生まれているのです。

 キリスト者は、痛みを克服するために、また、健康を促進するために、絶えず人類と共に戦い活動して、そのような人々を支え続ける使命をもっています。また、救い主キリストによってもたらされた、あがないの豊かさと苦しみの意味を、人類に提示することができます。

 苦しむイエスに倣うことで、偉大な聖人たちもキリストを信じる人々も、自らの病気や苦しみが自分と他者の聖化や救いの源泉となることを示してきました。人間は独力では苦しみや死の意味を見出すことができないので、それは険しい道です。しかし、キリストの助けがあれば、それはいつも可能な道なのです。

 良きサマリア人のたとえに示されるキリスト者の模範は、私たちに、尊敬、理解、寛容、やさしさ、哀れみ、感謝の気持ちをもって、苦しんでいる兄弟姉妹に「近づき」、彼らの苦しみが和らげられるように接するように促します。イエスの模範は、単に病人の手助けをするだけではなく、その病人が再び人々との交わりの中に復帰して人びとと共に生きることができるための、すべての手助けと努力をするようにと、私たちを励まし導いてくれます。病気は人間を共同体から引き裂くものですが、癒しは、家族や教会、また社会の中に自分の居場所を再発見させるのです。

 イエスは病人を治療し癒したばかりではなく、救いをもたらす存在として、絶えず人々の健康を育てるため、教え、行動した方でもありました。イエスの人に対する愛は、人との関わりの中に現されています。相手を理解し、慰めをもたらし、やさしく、力強く、人を生かすのです。

 たえずイエスの福音を宣げ知らせるようにと招かれている私たちは、すべての人が豊かで秩序ある生活を送ることができるように努めるよう、遣わされています。キリストの復活が、死を癒しと救いの源泉へと変容させたのと同じように、復活されたキリストの輝きは、イエスの十字架と共に自らを捧げることで、すべての人にとって、病気そのものを喜びと復活の源泉へと変容させる力をもっているのです。
画: Duccio di boninsegna