2007年4月  3.奉献生活者の召命
 奉献生活者は、カトリック教会の歴史のごく初期のころから現れています。キリストに全面的に従って自分を奉献し、生涯を賭けてキリストの生き方を自分の生き方にしたいと望み、それを実行する人を奉献生活者と呼んでいます。そして奉献生活者は、従順、清貧、独身の誓願によって教会から公にその身分を認められています。

 私たちの一人ひとりを創造し、その「いのち」を最後まで全うするために見守っていてくださる御父の愛と慈しみを、神の聖性としてすべての人々に告げ知らせ、人々が互いに愛し合うことをご自分の血と肉をもって示したのは御子イエスでした。イエスはこの生き方を12人の使徒とその弟子たちに伝えましたが、特にパウロのように、イスラエルの人々に対してだけではなく、世界のあちらこちらに出かけていって、そこで徹底して人々への奉仕を実行した人々が、カトリック教会の歴史の中に現れてきています。この伝統は21世紀の今でも確実に強烈に受け継がれているのです。

 科学・技術・医学・教育、最近のコミュニケーション技術の恩恵をこうむって、人々の生活は豊かになっているように見えますが、今でも充分な飲み水もなく、食物にも事欠く地域があることを私たちはどれほど意識しているでしょうか。日本の社会では不登校の子どもたちが苦しみ悩んでいる現実がありますが、一方で学校に行きたくても行くことのできない子どもたちが、世界の各地にいることをどこまで認識しているでしょうか。

 そのような現実の中で、国を問わずに、病に苦しむ子どもたちのためや、忘れ去られた病人のためや、障害者のために働いている奉献生活者の数は少なくありません。彼らはただひたすら神から与えられた尊い「いのち」を救い、大切にし、より豊かに生きることができることに奉仕しています。神ご自身が望んでおられることを可能にするために手伝いたいと願って、世界の各地に派遣されている奉献生活者もいますし、このような現状の中で生涯を賭けて祈りの生活を送っている奉献生活者もいます。

 神からの呼びかけに耳を傾け、勇気と信頼をいただき、そして人を愛するために、奉献生活を通して自分をささげたいとの思いを抱いている若者たちのために祈りましょう。
 神の愛と慈しみという神の聖性を、この不平等な世界のなかで実現しようとして生き、働いている奉献生活者の召命のために祈りましょう。
写真: 中司 伸聡