2007年4月  4.神の聖性に耳を傾ける
 神はご自分を示すためにイスラエルの民を選ばれました。そして、神の聖性そのものである御子イエスをこの世界に送られました。私たちは、神のみ言葉を告げ、数々の奇跡、癒しを行ったイエスによって「神とはどのようなお方か」を理解することができるようになりました。さらに復活して今もこの世に生き、私たちに働きかけておられるイエス・キリストの姿を、さまざまな人や出来事を通して知ることができます。このようにして神の普遍性が、世界の隅々まで今も伝えられているのです。

 洗礼によってキリスト者となった私たちは、キリストとともに周囲の人々に愛と慈しみという神の聖性を告げ、分かち合う使命をもっています。その使命はキリストのように言葉と行いによって伝えられていきますし、人々の心を揺さぶり動かす力をもつほど強いものであるはずですが、その使命の大きさを、キリスト者である私たちはどれほど自覚しているでしょうか。

 日本の教会は外面的には非常に小さな存在です。特に今司祭や修道者の減少や召命の減少がしばしば取り上げられ、日本の教会について悲観的な見方が強くなっているようです。しかし、数の上でのこの減少は、神の聖性を伝えるために決定的なマイナスになっているのでしょうか。そうではないはずです。むしろ私たちの「言葉」や「行い」について、見直しが必要なのではないでしょうか。言葉が鳴り響くどらのようにむなしく響き、愛の伴わない空虚な「音」にしかなっていないとすれば、御父が御子を通して私たちに与えられたキリスト者としての使命を、忠実に果たしているとはいえません。

 神と関わり、神に聴くことによって生まれる「言葉」と「行い」でなければ、「福音」にはならないのです。神が今この世界をどのようにご覧になっておられるか、そこに何を見ておられるのかを、耳を澄まし、心を開き、目を上げてみましょう。特に残酷な事件や多くの社会問題を抱えている日本に住んでいる私たちを、神はどのような目で見ておられるのでしょうか。「いのち」の創造主である神がそこに住む一人ひとりの心に何を望んでおられるのかを御父とキリストとの対話を通して聴いてみましょう。