2007年5月  4.メディアによる諸民族の連帯
 もう12年も前のことになります。1995年1月17日、午前5時46分、兵庫県南部地震が発生しました。大きな揺れとともに、たくさんのビルや家屋が倒壊し、火災が各所で発生して、6000名を越える方々が亡くなりました。
 地震と火災によって被害を受けた家や町並みの中で、食べ物はもとより、身の回りのものにも不自由な生活が始まりました。たくさんの救援物資が全国各地から届けられ、ボランティアも駆けつけて、支援を受けながらの避難生活の第一歩が始まったのでした。
 カトリック教会もさまざまな形の救援・支援活動を行いましたが、その中でも、カトリック鷹取教会を中心にした活動は、被災した人々の一人ひとりの心に希望の光を与えるものでした。その一つが、被災後間もなく始まった、FMラジオの放送でした。電波の届く範囲は広くありませんが、その地域に関する細かな情報を毎日送りました。さらに、教会がある地域には、多くのベトナムの人々や、韓国・朝鮮の人々が暮らしていたことから、ベトナム語や韓国・朝鮮語による放送も行ったのでした。
 災害時に情報の収集や行動が制限されて、より危険で不自由な状況に直面する方々を、その言葉の使い方がふさわしいかどうかは別として、「災害弱者」と呼ぶことがあります。高齢者や障がい者、妊娠している人ばかりではなく、旅行者居住者を問わず日本語が不自由な外国籍の方々も、災害弱者なのです。避難の方法や、食糧の配給などの情報も、彼らには届きにくいのです。直接的なコミュニケーションでは、こちら側の語学力の足りなさから、その人たちに充分な情報を伝えることができませんが、メディアの力を使えば、その人たちが必要としている情報を伝えることができたわけです。
 震災の後に、このFMラジオの放送は、正規のコミュニティFM局「エフエムわいわい」として開局され、今日も多言語で多文化に暮らす人びとに向けて、地域に密着した情報を届けています。小さな地域でのこの多言語情報提供システムには、メディアによる諸民族の連帯のための大きなヒントが隠されていると思います。それは、メディアを通して連帯の必要性を説くのではなく、いずれの民族に属するかにかかわりなく、最も弱い立場に立たされている人々が最も必要としている情報をきめ細かく提供することなのではないでしょうか。
 震災後にすぐにベトナム語や韓国・朝鮮語での放送の必要性に気づかせてくださった聖霊の働きに感謝し、私たちのメディアが、最も情報を必要としている人の助けとなることで、少しずつ、着実に、民族同士の連帯が深まっていくように、力を注いでいきたいものです。
 今日のメディアは、送る側からの一方的な情報発信ではありません。メディア社会に暮らす私たち一人ひとりが、メディアを組み立てることができるように、受け手から送り手に向けての回路もきちんと備えた、双方向型のメディアなのですから。