2007年7月  2.公益の管理における積極的な参与
 2007年7月29日(日)に参議員選挙が行われることになりました。まさに私たちが個人的に市民として、「公益の管理」に積極的に参加することができる大きな可能性の一つだと感じました。過去の参議員選挙の投票率を調べてみると、平成13年と16年がともに56%で推移しています。約半数弱の方が投票という参政権の行使を放棄しているわけです。「選挙に行っても投票したい候補者がいない」とか「どうせなにも変わらない」と、棄権した人たちは言います。この積み重ねが怖いのです。このことが無責任な政治を増長し、危機的な状況を起こしかねません。今回の選挙は積極的に参加したいものです。

 出エジプト記には「主は言われた『わたしはエジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った』『見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた(3・7,9)』とあります。この旧約の主の言葉から、私は「叫び声」をあげる大切さを感じます。選挙は「叫び声」をあげる一つの手段とも言えます。
 2006年4月に「障害者自立支援法」が成立しました。この法律は障がい者自身のニーズを聞かずに国家財政の立場から成立させた法律です。成立後も障がい者はいろいろな形で「障がい者のことは障がい者抜きで決めないでほしい」と声をあげています。
 2006年12月に「旧教育基本法」が改定されるときに、日本カトリック司教協議会社会司教委員会は「教育基本法改定への懸念について」というメッセージを総理大臣と文部科学大臣に出しました。その最後に「この動きの中に透けて見える愛と正義に反する圧力、すなわち競争の強制による分断と差別が人々の間の人間らしい協力や連帯を断ち切っていく働きに対して、わたしたちは同調することができません」と記してあります。残念ながら法案は改定となってしまいましたが、あきらめずに「叫び声」をあげ続けることの大切さも痛感しています。

 私の好きな本に、フランスで50万部を越えるベストセラーになった、フランク・パヴロフの『茶色の朝(藤本一勇訳、大月書店、2003年)』があります。すべてが「茶色だけ」になってしまう物語です。ある国ではまず茶色以外の猫が許されなくなり、その次に茶色以外の犬が、「茶色新報」以外の新聞が、「茶色ラジオ」以外のラジオがと、あらゆる茶色以外の存在が許されなくなってしまうのです。最後には朝までが茶色になって、「いやだ、と言うべきだったんだ」「反対すべきだったんだ」と手遅れになったことを悔やむ物語です。

 私たちも、日本国憲法が改正され、第9条が廃棄されて、日本中が不幸という色に染まってしまったときに、「いやだ、と言うべきだったんだ」「反対すべきだったんだ」と手遅れにならないように、公益の管理に積極的に参与したいものです。