2007年7月  4.福音宣教で働く人々への援助
 1995年、教皇ヨハネ・パウロ2世は「世界宣教の日」のメッセージで次にように述べています。『宣教者の皆さんの「諸国の民」と「生命」に向けられた特別な召命は、今もその効力を保っています。それは、教会全体の宣教における献身を模範として示すものだからです。教会は、徹底的で全面的な自己贈与と、斬新で大胆な推進力を常に必要としています。皆さんは、復活したキリストを人々の間で証しするために生涯を神に奉献しました。疑いや困難、排斥や迫害によってくじけてはなりません。宣教者固有の恵みに生かされながら、深い信仰と寛大さをもって自分の道を、ためらうことなく進んでください。(『救い主の使命』66)』

 「疑いや困難、排斥や迫害によってくじけてはなりません。」この言葉で、殉教者のことがすぐに頭に浮かびました。ぺトロ岐部と187人殉教者の列福が正式に決まりましたが、殉教者のことに思いを馳せることも福音宣教で働く人々を積極的に助けることになるのではないかと感じました。

 また「深い信仰と寛大さをもって自分の道を、ためらうことなく進んでください」との教皇の言葉で、30年近くの歳月を自ら希望してブラジルのアマゾンに派遣された司祭のことを思い出しました。彼が一時帰国したとき、「なぜブラジルに?ブラジルで何を?」との質問に対して「ブラジルを希望したのは自分自身と違うものをもっともっと大切にしたかったからです。そしてブラジルでは上からではなく、草の根のつながりによる共同体づくりを通して、決して社会改革ではないが、自覚化する、意識化することのお手伝いを少しはできたかもしれない。」とお答えになったのを思い出しました。

 「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」という主の祈りが心に響きます。福音宣教で働く人々は、神の望みが地上で実現するように強く願っているのだと思います。また地上には神が造られたものは、すべて「良し」とされて存在しています。そして互いにつながっています。このつながりを大切にする信頼感が「良い知らせ」を伝えていく原動力になっているように思います。つながりを大切にするということは、前述した司祭の「自分自身と違うものをもっともっと大切にしたかった」ことに通じるように感じられました。

 福音宣教で働く人々を積極的に支援する方法は、経済的な支援もありますし、人的なサポートもあります。また祈りで支えることも大切な要素であると思います。祈りによる支えとは、福音宣教する人々へ伝えられた神の望みと、私たちに示された同じ神の思いとを、重ね合わせる、心の営みだと感じています。