2007年8月  2.宇宙の広がり
 神は御自分にかたどって人を創造されました。(創世記1・27)私たち一人ひとり「いのち」も神の創造の業としてこの地上に誕生しました。一人ひとりの誕生を遡ると、まず両親の誕生と出会いへと遡り、さらにその先へと遡っていき、「神の創造の物語」という壮大なドラマへと行き着きます。

 私たちは自分を取り巻く宇宙全体、天も地も、光、水、草木、鳥、魚、獣などなど、すべてが与えられているところに誕生したのです。その創造の業のすべてをご覧になって神は「見よ、それは極めて良かった」と思われた、と創世記は記しています。2、3年前だったでしょうか、宇宙飛行士の野口聡一さんが宇宙ステーションからこの地上に帰還した時、宇宙から地球を見た時の印象を問われて、次のようなことを言っておられました。「宇宙から見た地球は青々していて、いのちに満ち満ちていた」と。

 私たちが生まれる前から、この地球は青々とした美しい環境として宇宙の中にその存在を現わしていたのです。「いのち」は活き活きとしていて、いつもそこに動きがあります。その中に「私」という一つの「いのち」が誕生しました。小さい「いのち」は活き活きとしていて、生命力に溢れていたことでしょう。その「いのち」が両親を始めとして多くの人びとの温かい腕に、大きな心に受け入れられ、大事に扱われ、そして成長するために必要なものをたくさん与えられてきたのです。

 そこにすでに用意された環境があり、その中で私たちはどれほど多くの人に受け入れられ、その人びとに支えられ、大事に扱われ、愛されて育ったか分からないくらいです。そのようなことを思い起こしたことがありますか? その事実を感謝したことがありますか? の時代の「幸せ」を実感したことがありますか? 私たちの多くはそのような「幸せ」をほとんど忘れているかもしれませんし、当然のこととして、思い出しもしなかったかもしれません。

 しかし、子どものときの私は、花や自然の美しさとその不思議さに感動したことがあるでしょう。動植物のいのちに関心をもって、自分のものとして心底大切に扱ったことでしょう。そのころのことを思い出すだけで幸せになります。
 少し大きくなって、親しい友人との出会いや語り合いのなかで、他者の「いのち」との関わりによる心強さや面白さ、他者とともに生きることによって自分の「いのち」としての独自性を発見し、ともに生きることの豊かさを体験してきたでしょう。同時に自分が自分だけで完結するのではなく、異なった他者との深い交わりと、そこから生まれる愛情を味わうことによって、自分を越えた世界へと広がっていく。すべての人が与えられているこの「いのち」の神秘とも言える体験にまで到達するところに、何にも変えがたい「幸せ」を発見するのではないでしょうか?