2007年8月  3.幸せを阻むもの
 私たち一人ひとりは、神からの「いのち」をいただき、神からの祝福を受け、両親を始めとして数限りない多くの人びとからの愛情と励ましによって成長することができました。そして、他者の「いのち」を支え、ともに生きることができる恵みをいただいています。

 しかし、この世界には同時にたくさんの不幸、災難、苦しみ、病気などがあり、私たちが祝福のうちに受けた「いのち」の幸せを忘れてしまうほど、心がそこに捉われてしまうことがしばしばです。科学が発達し、医療が進歩しても、エイズは全世界に広がり、どれほど多くの人びとがそのために苦しんでいることでしょう。今日イラクで、そしてまたパレスチナで、戦争や紛争の犠牲になっている人びとがどれほどの苦しみを味わっていることでしょう。また一方で、外面からは社会人として毎日の仕事に励み、家族を養っているようにうかがえる人が、実は人間関係で苦しみ、自らいのちを絶つことを真剣に考え、悩んでいることもあるでしょう。

 創世記の神の創造の物語にも、中央に命の木と善悪の木が生えているエデンの楽園から追い出されたアダムとエバの物語が記されています。神の創造のすべてがよいものとして祝福されたはずなのに、神と同じようになれるという蛇からの誘惑に負けて、神との約束を果たさなかったために、人は神の楽園から出ていかなければならなくなったのです。

 この物語が私たちに語ろうとしていることに目を止める必要があると思います。神が創造されたもののなかで、もっとも素晴らしい創造は「人のいのち」の創造だったといえるでしょう。人である私たちはこの宇宙の始めから現在にいたるまで、宇宙にあるすべての存在の管理を委ねられているのです。この宇宙の全てをどのように使ったら、人が豊かに、幸せに生きることができるかを考え、探し、工夫して生きるようにと創造主である神から委ねられているのです。委ねられているということは、決して支配することではありません。私たちは自分のものとしてこの大地を独占する権利はないのです。大地を皆で管理し、そこから豊かな実りを得ることができるように働くことが使命として与えられているのです。

 しかし、私たちはこの地球上でそのような自分の位置づけを意識しているでしょうか?すべてを「自分」のものとして支配し、独占し、他者を排除して、「神のように」振舞っているのではないでしょうか?その心の底に神のように自分が自分を支配することから、不幸が、苦しみが、悩みが私たちを捕らえ、そこにすべてを治める「神」の存在が消え、「幸福」の青い鳥が消えてしまいます。

 創世記の物語はアダムとエバの話の後、カインとアベルの兄弟の争いについての話へと進んでいきます。これは単なる物語ではなく、私たちの罪の歴史なのです。