2007年8月  5.「防災の日」を迎えて
 1923年9月1日の関東大震災に因んで、毎年9月1日は「防災の日」として制定された記念日になっています。今年も、地震やその他の自然災害でいのちを落とされた方々が数多くおられます。自然災害は、私たち人間の社会的、経済的状況にかかわらず、その地域やその状況に置かれた人々にすべからく災いをもたらします。台風は、健康な人の家にも、病気の人の家にも、強風と豪雨で襲いかかります。お歳を召したご夫婦にも、新婚の若いカップルにも、分け隔てなく容赦なく吹き付けます。大自然がもたらす猛威の前には、人間はとても小さな存在であることを思い知らされます。

 1995年1月17日午前5時46分、淡路島と神戸一帯は、激震に襲われました。建物は倒壊し、火災が発生して民家や商店が次々と類焼し、6000人を越える方々が亡くなりました。裕福な人たちも、経済的に厳しい生活をしている人たちも、一瞬にして生活の基盤をすべて失い、分け隔てのない被災者となったのでした。今から12年前のことになります。

 すべてを失って、焼け野原にたたずみ、人々は飢えていました。食べ物がありません。交通が寸断されて、救援物資がなかなか届かないのです。加えて、都市の大災害に無防備だった行政は、食料さえ備蓄していなかったのでした。少しずつ避難所に救援物資と食料が届けられるようになったとき、お金持ちだった人も、貧乏だった人も、同じ避難所で生活を共にしていて、何と誰もが自分のことより隣人のことを、まず大事に思う心が生まれていたのです。食料が、おにぎりが配られると、誰もが自分の口に運ぶ前に、隣りの人を案じて、「お腹がすいていませんか」と尋ね合ったのでした。被災したある教会の司祭は「その光景に、天の国を見た」と言っていました。誰もが、生き残ることができた『隣人』の真の友、真の隣人になることができたのです。皮肉なことですが、人が持つものをすべて失ったときに、そこに神の国と「真の幸福」が実現したのでした。

 やがて、ボランティアの方々が到着して救援物資も整い、生きることだけを考えて過ごしていた生活に、「モノ」が届けられて、いのちの危険は消えていきました。皆とても喜んだのですが、恐ろしいことに、また、当たり前のことなのですが、そこにまた、「人間の社会」も同時に戻ってきたのです。皆がいのちを分かち合っていたときに経験した神の国と「真の幸福」は、「モノ」が届いて危機が去ると、同じタイミングで消えてしまったのです。弱い人間は、「自分のこと」を最優先にする生活様式に再び戻ってしまったのでした。

 自然災害は、誰にでも襲いかかってきます。その自然の中で手を携えて「いのち」を護ろうとするとき、真の幸福が訪れるのです。神によって恵まれたこの体験の味を忘れずに、災害に遭ったときに見た神の国と「真の幸福」を、自らの力で作り上げていくことができる力を願いながら、この一週間を過ごして参りましょう。合わせて、いつ起こるとも限らない自然災害に備え、その時に教会は、教会共同体は、人々のいのちをどのようにして護ることができるかについても、考えて参りたいと思うのです。