2007年9月  3.神の導きへの信頼
 日本で生活する移住移動者の中には、正規の在留資格を有さない、いわゆる「不法滞在」の人も少なくありません。彼らは摘発を恐れ、日曜日に教会に行くこともままならず、ひっそりと、隠れるように生活せざるをえません。また、公の社会サービスを受けることができないので、大きな不安を抱えています。病気になっても社会保険を使えないので、ただ、じっと痛みに耐えるしか術がないのです。
 ある時、大きな困難を抱えた友人の一人が語った言葉が大変印象的でした。万策尽き、自分の力ではどうにもできない状況に置かれた時、彼は、「今、私はどうしたらいいのか分からない。だから祈ります。どうすればいいか分からないけれど、教会に行って祈ります。きっと神様は、私のために働いてくださるから」と言うのです。それは、ごく自然に口をついて出た言葉でした。
 彼の中には、「私たちを助けてくださるのは、ただ神だけだ」という強い確信が息づいています。本気でそう言い切ることができるのです。どんなに重く、辛い現実の中にあっても、神の導きに信頼し、そこに希望を見出していく信仰者の姿があります。それは、イスラエルの民が旧約の中で生きた信仰です。イスラエルが偉大だからではなく、貧しく、小さく、弱いからこそ、神が彼らを選ぶという約束に対する信頼と、その信頼に基づく希望への歩みです。
 私たちはどうでしょうか。教会生活の中、あるいは一人ひとりの信仰生活の中で、どれだけ神の導きに信頼し、自分自身を委ねることができているでしょうか。失敗や挫折による失望や悲しみに飲み込まれてしまい、より大きな導きの手を見失っていないでしょうか。どんな時にも、「共にいる神」に対する信頼を持ち続けることができるよう、祈りたいものです。