2007年12月  2.アジアで主イエスを宣べ伝える
 「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録1・8)。この聖書の教えに基づいて、キリスト者は世界の各地へと福音宣教に出かけました。その地の一つに、私たちの住む東アジアがあり、そこには巨大な人口を抱えた中国があります。
 アジアはキリスト教をはじめ、ヒンドゥー教・イスラム教・仏教など世界的な宗教が生まれた地域です。ですから、アジアは、多様な宗教とそれに基づく多様な伝統文化を大切にする風土が、根強く残っている地域でもあります。その中で「唯一の救い主イエス・キリスト」を信じる私たちキリスト者が、他の諸宗教の多様な豊かさを尊重すればするほど、「唯一性」と「多様性」尊重の対立、矛盾をどのように乗り越えていくのかという難しい課題を抱えこんでしまいがちです。 アジアでの福音宣教において、この対立と矛盾を絶望と感じて諦めるのではなく、希望を見出しながら生きていきたいと考えています。
 そして、その希望をマザー・テレサの生き方に学びたいと思います。今年はマザー・テレサ没後10年にあたり記念の映画やさまざまなイベントも行われました。マザーが生きたインドは人口11億人のうちヒンドゥー教徒やイスラム教徒が大多数を占めています。
 「死を待つ人の家」では、マザーは臨終の枕元でその人の信仰を尋ねて、ヒンドゥー教徒ならばガンジスの水をかけ、イスラム教徒ならばその経典「コーラン」を読み、仏教徒ならば「お経」を唱えたと聞いています。マザーは、
 「唯一の神がおられ、その神はすべての人々にとっての神です。ですから、神の前ですべての人が平等であることが大切です。ヒンドゥー教徒やイスラム教、仏教徒がカトリックになることを祈るのではなく、ヒンドゥー教徒がより良いヒンドゥー教徒になるように、イスラム教徒がより良いイスラム教徒になるように、仏教徒がより良い仏教徒になるように祈りましょう。」とシスターたちに語っていたそうです。
 このように宗派を問わずにすべての貧しい人のために働いたマザー・テレサの葬儀は、1997年9月13日に、インド政府によって国葬として盛大に行われました。インドの大統領や首相以外で国葬がなされたのはマザーだけです。マザーの死は国家的な損失であるとインドの人々は嘆き、世界の人々もマザーの偉大な働きを思って追悼しました。その葬儀の中ではヒンドゥー教僧や仏僧などさまざまな宗教の7宗派から弔辞が捧げられ、その弔辞は英語からヒンディ語やベンガル語に翻訳され伝えられました。
 いつもミサや祈り中で「唯一の救い主イエス・キリスト」に祈りを捧げていたマザーが、他の宗教を心から尊重していたことの証しだと、感じずにはいられません。ここにアジアにおける私たちキリスト教徒としての生き方のヒントがあるのだと思います。
 今、主の降誕を待ち望む待降節にあたり、マザーの生き方は、まさに私たちへのクリスマスプレゼントだと感じつつ、感謝のうちに過ごしたいと思います。