2007年12月  4.クラブハウス方式
 私たちは障がいを、身体・知的・精神の3つに分類してしいますが、実際にはそれぞれの障がいの中にも多様な特性があります。ですから、私たちも、障がい者一人ひとりに対して、人格をもった一個人として対等に向き合うことが、基本的な姿勢だと感じています。

 障がい者に対して、「かわいそうだ」という憐れみの気持ちで関わる場合に起こることなのですが、彼らが不利になるのではないかと勝手に想像して、「彼らのためを思って」という善意の名のもとに、彼らにとっての重要な判断や選択をしてしまうのです。実は、これは強者の奢りから生まれる上から下への憐れみにほかなりません。彼らは、判断できる十分な情報やさまざまな選択の機会さえ提供されないことになります。さらに、長いことそのような状態に置かれていた障がい者も、自分たちの意見や希望を口にしないで、医療や福祉に任せてしまう悪循環となってしまいがちなのです。これは「パターナリズム」、つまり「父権主義」であり「温情主義」なのですが、福祉や医療の現場では、長い期間このような関係が続いていました。障がい者の歴史は、善意の名のもとに、人権が侵害され、権利が剥奪され、自己決定の機会が奪われ、人間の尊厳がないがしろにされてきた歴史なのです。

 この厳しい歴史の中で、最近は少しづつ見えてきた希望は、地域で暮らす障がい者が自分たちで、自分たちの必要なサービスを選択できるようなシステムが考えられるようになってきたことです。彼らが自ら抱えている問題やニーズを認識して、その解決や目標に向かって、自分で考え判断し、自分の責任で選択し、決定していく「自己決定」が強く意識されてきました。障がい者の「自己決定」を支えていくのは、地域であり、地域の一人ひとりの「つながり」だと思います。一人の障がい者と、一人の近くの住民が出会い、そして、つながっていくことを通して、キリストの光が見えてくるのだと思います。

 メンバーとスタッフが対等な関係で運営している形態として、世界的にも注目され始めた「クラブハウスモデル」というシステムがあります。日本でもこのクラブハウスの方式を採用した「フォーラス:For Us」が、千葉県のモデル事業として2005年11月15日にオープンしました。
 この「フォーラス」は、精神の病を持った仲間同士が互いに助け合う場です。また精神の障がいがあっても、必ず意味のある仕事ができることを信じ合う場でもあります。クラブハウスではメンバーとスタッフが共に運営に参加しています。皆が力を合わせて作りあげていく場なのです。クラブハウスでは誰かに指示をしてもらって何かをするのではなくて、自分たちで考え仲間同士で共同作業することが基本になっています。そして自分たちの力を活かし、その力を社会に出て発揮する、社会復帰の練習の場でもあります。
 「フォーラス」では毎週金曜日にミーティングを行っています。このミーティングではメンバーとスタッフが対等な立場で意見を出し合って、決まりごとや「フォーラス」に必要なことを話し合っています。
 
 この施設の中に大きな字で「グランド・ルール」が掲示されていました。オープンして間もなく、皆で意見を出し合って作ったもので、そこにはメンバーの気持ちが詰まっています。そこには、
・遠慮しない ・健康体調に合わせる ・強要しない ・自主性を保つ ・交流を心がける
・自然体 ・強がりを言わない ・強がらない ・すねない ・ランク付けをしない
・説明力を持つ ・やりたいことがあったら全体ミーティングで相談する ・いつも笑顔で
と書いてありました。

 この、「フォーラス」で始まった出来事に、小さな希望を味わいつつ、イエスのご降誕の意味を深めたいと思います。