2008年1月  1.かなたからの声
 人は、生まれてきたとき、すでに神の恵みに支えられています。この社会のなかで生きていく可能性を与えられているからです。確かに、生まれた場所や状況によっては格差があります。交通が不便な場所に生まれる人もいます。食べものに事欠く苦しい経済状況の家に生まれる人もいます。しかし、どんな人にも「生まれてきた」ということで一定期間の時間が与えられています。生後まもなく亡くなった方々もいるのです。私たちは、まだ生きることができる。だから、まだ、ましなのです。自分の持ち時間を大切にしたいものです。
 宗教も、人の人生と似ています。世界中に、さまざまな宗教があります。にせものも、ほんものもあります。人は生まれた場所にある宗教と出合います。たまたま出合った宗教の影響を受けて、人は翻弄されます。あるいは、生き方を深めます。ある意味で、人は宗教を選べないような状況で生きているのかもしれません。生まれた場所で出合った宗教に生き方を左右されているからです。
 しかし、いま、ちょっと立ち止まってみましょう。世間の都合や自分の都合に振りまわされるだけでは、だめです。かなたからの働きをキャッチしてみましょう。神は、あらゆる人に働きかけようとしています。人が気づこうが気づくまいが、神は相手のことを考えており、最良の道を準備してくださいます。静かに座って、心を落ち着かせてみましょう。神が、何をなさろうとしているのかを、ひたすら聴き取ろうとしてみましょう。毎日、沈黙のひとときを、ほんの数分すごしてみれば、きっと、ゆったりとした心もちになれます。
 かなたから届く「聴こえざる声」、心の奥に響いてきましたか?