2008年1月  5.真実に目覚めて祈る
 あらゆる宗教に共通する要点は、人間が狭い了見から解き放たれることであり、真実に目覚めることです。しかし、私たちは自力だけでは目覚めることができません。ですから、謙虚に頭を垂れて、祈ることが不可欠です。――「どうか、助けてください。私を人間的なエゴイズム(自己中心的な生き方)から解放してください。」 すなおな気持で、神に自分をゆだねるときに、私たちは少しずつ回心していくことができるのかもしれません。
 諸宗教対話の際に、まずは祈ることが出発点になります。異なる宗教に属する人びとが集まって、祈りを捧げること。そして、集会が終了してからも、宗教者たちがそれぞれの場所で個人的な祈りを捧げつづけることで、心においては一致することができます。離れていても、気持を一つにすることで共に生きることができるのでしょう。
 人間の都合だけで物事を推し進めてしまえば、必ず破局が訪れます。それぞれの人が自分の都合だけで自己中心的に動いてしまえば、お互いの立場がずれてしまい、ぶつかり合いになるからです。
 祈りを捧げることで、神の導きを願いながら謙虚に歩むこと。それが、目覚めて生きるという宗教的な生き方の極意なのでしょう。仏教もキリスト教も共通して「目覚めた者」あるいは「覚者」となることを目指しています。