2008年2月  4.心の病と自殺
 日本の司教団は、「いのちへのまなざし」の中で自殺を取り上げ、自らの死を選択しようとしている人びとに対する、教会の姿勢について述べています。大切なことは、「自殺の原因を自殺行為者の個人だけの責任に帰せない場合も多く、当事者を追い込む状況を作り出した私たちにも、この状況を改める責任が問われている(第60項)」という自覚ではないでしょうか。「死にたいと思いながら、できれば誰かに助けてもらいたい」との思いを抱きながら死に至った人びとに対する私たちの責任について、改めて考えてみたいと思います。

 自殺に詳しい精神科の医師の研究によると、自殺者は生前に精神疾患を患っていた例が圧倒的に多いのです。そして、多くの場合、生前に精神科の治療を受けていなかったとのことです。心の病は、癌と同じように、早期に発見できれば死に至ことを防ぐことができます。ところが、今月のこのコーナーで共に深め考えてきたように、偏見を抱かれ、家族にも理解者が少なく、孤独に生きることを強いられた人びとは、心の病だと気づくことが難しいのが現状なのでしょう。教会に集う私たちの兄弟姉妹の中にも、心の病に気づかないでいる方もいますし、心の病が原因で自殺をした人もいるのです。

 自殺者が年間3万人を超える事態は、尋常ではありません。事故や災害で人びとがいのちを落とすと、ニュースとして報道されます。しかし、毎日、80人も90人も、自殺によっていのちを落としているのです。インターネットへの自殺予告の書き込みから、その当事者を探り当て話を聴き、たくさんの自殺を防止することができたとの報道が、最近目に留まりました。私たちは、医師やカウンセラーではないので、病を治したり問題を解決したりすることはできませんが、その人の話を聴き、そして「神は心の病をもっているあなたを、心から愛し大切にしている」というメッセ−ジを、その人に理解できる言葉に置き換えて伝えることはできるのではないでしょうか。

 2月の意向をきっかけに、「心の病」をもつ人びととのかかわりに心を向けるように、生活を変えていくことができたでしょうか。四旬節の祈りの中で、このことをさらに深めていただくことを、切に願います。