2008年3月 2.愛と赦し |
![]() 一人の女性が、歯科の医療事故にあって、後遺症で苦しんでいます。顔が腫れたり、骨が痛んだりするので、弁護士を介して医師との交渉を進め、事故の原因と治療の方法を模索していました。彼女は、「修復的司法」という加害者と被害者の和解の道を知ることになります。裁判に持ち込めば、慰謝料と損害賠償を得るに充分な証言や証拠があったにもかかわらず、彼女は和解の道に進みました。キリストの愛に根ざした「修復的司法」を実践したのです。顔の腫れや骨の痛みが全く消えたわけではありませんが、医療事故の後始末のために歯科医と争っている状況は、なくなりました。赦しが解放につながったのでしょう。最近は彼女の顔に、笑みが浮かんできました。 愛されていることは、どのようにして実感できるのでしょうか。優しく、ていねいに、こちらの言い分を聞き入れて、私のために何でもしてくれるなら、その人の私に対する愛を確認することができるのでしょうか。私に対する態度は、やがて変わるかも知れないという不安も抱きながら、愛されているような気持ちにもなります。でも、私が犯した罪や過ちを、たった一度でも赦してくれたことを体験することができれば、その赦しは、愛されていることの充分な証しとなります。 赦すことができたでしょうか。愛を深めることができたでしょうか。主のご復活を前に、「主の祈り」の「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。」の言葉を味わいなおし、深めて参りましょう。 |