2008年4月 2.三つの誓願 |
![]() さて、中野孝次氏の『清貧の思想』がベストセラーとなったことは記憶に新しいことです。飽食といわれる今日の時代に、1年間に800万人もの人が飢餓で亡くなるという矛盾があります。4秒に1人が食べ物がないために死んでいくのです。こうした現実の中で、衣食住を簡素にして、消費社会に飲み込まれない生活をめざしたいという現代人の願望が、この『清貧の思想』に共鳴したのでしょう。「清く貧しく」と置き換えられがちですが、むしろ「簡素な生活」と理解した方がよいかも知れません。 奉献生活者の清貧は、この簡素な生活をめざすことだけでなく、この世の富にとらわれないで生きることを徹底するために、個人として財産をもたないことを誓約します。ですから、給料などの収入があるときでも、すべて会に差し出すことが原則です。 従順は、何を言われても盲目的に従うという意味ではありません。軍隊で上官の命令に従うこととは違います。修道会や在俗会をとおして、神の望みを実現するために生活を捧げているのですから、会の中で個人がどのようにその目的に貢献できるかについて、よく識別します。自分がどこでどのように働けばよいかについて、会の中で充分に話し合うことが必要でしょう。長上が決めたことを実行するだけで、自分では何も考えないという意味ではないのです。しかし、意見が異なることもあるでしょう。その場合は、会の仕組みの中で、より大きな責任を持っている人、つまり長上の意見に、自分の考えを合わせることを基本とするのです。 貞潔は、独身性です。奉献生活者や聖職者が独身生活を守ることは、カトリック教会の特徴です。結婚を選ぶ人たちは、決して神の望みのために働くことができない、というのではありません。独り身のほうが望みに応えやすい事柄もあれば、結婚して家庭という教会の形をとらなければ神の望みを実現できない事柄もあるのです。ですから、奉献生活という独身の生活を選ぶことは、その生き方に招かれていることであり、まさに召命なのです。 「三誓願」について、多くの人がより深く理解することができるように、そして、多くの若者が奉献生活へ招かれていることに気づくことができるように、ともに祈って参りたいと思います。 |