2008年4月  3.共同体の豊かさと難しさ
 神への奉献という同じ志をもって共に生活する修道院を単位とした共同体は、主イエス・キリストから会をとおして、教会と社会への奉仕のために派遣されているのですから、聖霊の息吹にあふれていて、幸せな充実した場であると錯覚しがちです。しかし実際には、生育暦も生活習慣も違う人たちが、寝食を共にするのですから、また、国際修道会の場合には、国籍や文化が違う人たちもいるのですから、そこでの生活は決してスムーズではありません。
 結婚生活を、「異文化接触」と捉えて、夫と妻が互いを理解し合い、受け入れ合っていく過程を説明することがあります。二人はそれぞれの家庭で、その家の生活習慣の中で育まれてきます。食事のメニューや買い物の頻度、掃除洗濯などの細かな工夫など、考えてみれば生活のすべてに、その家らしさが備わっているのです。文化とは、そのグループによって共有された価値です。価値とは、何が大切で尊いものであるかの判断基準です。ですから、それぞれの文化には、良いことと、良くないことが含まれています。そして、文化は長い年月の中でその場にふさわしいものとして培われてきたものですから、いずれの文化も理にかなっていてすばらしいものなのです。
 ところが、一人の人間の生育の過程は、通常は一つの文化の中で行われます。つまり、自分が所属したグループ以外の空間での生活経験がないのです。ですから、自分の文化が唯一のもので、絶対的なものだと錯覚してしまい、他の文化と出会うとそれを否定して、自分の文化に染め変えてしまいがちなのです。人類の歴史の中では、残念なことに異文化との出会いは、戦争、そして征服と統治といった足跡を残してきました。
 結婚した二人が互いを理解し合うには、まず異なる文化が存在していて、それぞれの文化にはそれぞれ良いところがあることを、認めることから始まります。そして、それぞれが相手の文化の良いところと自分の文化の良いところを重ね合わせて、第三の文化をはぐくんでいくことが求められます。文化が融合すると、新しい優れた文化が生まれることは、人類の歴史が証明しています。
 さて、共同体は、二人関係の結婚生活が、重層的に組み合わさったものとして理解できます。結婚と同じように、それぞれの文化の良さを認めて、新しい文化に組み立てなおしていく作業が必要なのです。文化を融合させる努力をしなければ、共同体はとても居心地の悪いものなってしまいます。
 神への奉仕という共通の生き方を選んでいる個々人は、それぞれが異なった文化を持ち込んでいることを心に留めて、互いに理解し合える共同体を育てていくことが望まれます。新しい出会いは、新しい文化を学ぶ、喜びの始まりなのです。