2008年5月  2.マリアに倣う
 5月は聖母の月とも呼ばれていますが、この1カ月を特別に聖母マリアに捧げ、宣教に臨む教会が自分の使命をマリアから学ぶことができるように願います。ここでは教会がマリアに倣って、神への深い信仰に生きていくためのヒントを次の三つの観点から考えてみたいと思います。

 第一の点は、マリアのようにみ言葉を聞くことです。マリアは忙しい生活の中でも、神のみ言葉を味わうための準備を内面からなさっておられました。聖書は、天使から使命を受ける時点からイエスが十字架にかけられる場面に至るまで、マリアの様子を伝えていますが、すべてにおいて共通するのはいつもみ言葉に自分を委ねる姿勢だったと言えます。神のみ言葉を受け入れ、その意味を深めるマリアの心は沈黙のうちに落ち着いたものでした。聖書はそのようなマリアの態度を、「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思いめぐらしていた」(ルカ2・19)という表現で表しています。

 第二は、神の招きに素早くまた素直に、「はい」と応えるフィアット(なれかし:み心のままになりますように)の態度です。この、神に応答する素直さと素早さは、普段の生活から神のみ言葉で養われた信仰の表れでした。普段の生活の中での準備があったからこそ決定的な瞬間に迷わず神の招きに応えていくことができたのです。それは自分の存在が神によって召し出されたという事実に確固たる信念をもっている人間の態度であると言えます。聖パウロはローマの教会への手紙で、「神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出したものを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです」(8・30)と言いますが、この表現は、神の導きに信頼する人間の自由を示しています。マリアはいつも自分の人生が神のみ手の中にあるということを実感していたのでした。そのため、いつでも、「はい」と応えることができたのです。

 第三の点は、神のために協力しようとする積極的な姿勢、奉仕の精神です。マリアは自分のことを「身分の低い、主のはしため」(ルカ1・48)として理解していましたが、それは自分の価値を否定するような態度ではなくて、むしろ自分が神の道具であるということを確信する人間の謙虚さと自信のある表現であると考えられます。マリアは自分が神の救いの計画を実現するために役に立つ存在であると信じていました。その信仰がイエスを受肉させ、育て、また最後の十字架まで見守る勇気を与えました。またマリアは初期キリスト教の共同体の建設と宣教にも大事な役割を果たしたと思われますが(使徒1・14)、使徒たちは、神に協力しようとするマリアの積極的で前向きの姿を通して励まされ、困難を乗り越えていくことができたのでした。