2008年5月  3.飢餓への取り組み
 友人から聞いた話ですが、彼は数年前にある雑誌で「世界には食料が不足するため死んでいく人が、毎日、子どもだけでも4万人を超えている」という記事を読み、大変ショックを受けました。その後、彼は自分にできることを考え、いくつか実践し始めました。その中の一つを紹介します。
 彼は大学で教員として勤めていますが、毎学期の最初の授業のときに学生たちに次のように言うそうです。
 「一学期の間、授業用のプリントを配りますが、その代金の代わりに皆さんから寄付をしていただきたいと思います。集められた寄付金はアフリカやインドなどの子どもたちのために送られます。義務ではありませんが、よろしくお願いします」。
 そして最後の授業の日、彼は、お金が集められた募金箱を手に持って、次のような祈りを捧げます。
 「神さま、この一学期の間、私たちに与えてくださったすべての恵みに感謝します。あなたの恵みのお陰で、学問を深めることができました。ここに少しのお金を集めました。どうぞ、これをお受けください。これは飢えている子どもたちのための募金です。子どもたちにも祝福がありますように。彼らが人びとの温かい援助によって助けられますように」。
 彼は何年間も、同じことを続けていますが、「恩恵を受けているのはむしろ私たちではないかと思います」と言っていました。すなわち、学生たちは募金を通して、自分たちの勉強が、実は、この世の関心と深くつながっていることを学ぶことになるということです。

 ルカ福音書には、サマリア人のたとえが記されています(10・25-37)が、それは「どうすれば永遠の命を得ることができるのですか」という律法学者の質問に対する答えの続きです。神と隣人を愛することの大切さを語るこのたとえには、祭司とレビ人とサマリア人という三人が登場します。祭司とレビ人は、自分のこと(律法を守ること)に精いっぱいだったので、倒れている人の状態をありのまま見ることができませんでした。サマリア人だけが、その人の状態をありのまま見ることができ、助けることができたとあります。

 このたとえは、比較的豊かな状態で生きている私たちにも呼びかけてくれます。
 「あなたも、もしかしたら自分のことで精いっぱいになっているのではないか。そのため、周囲にいる、もっと困っている人に目を向けることができない状態ではないのか。どうぞ、周りに目を向けてください。そうすることによって、あなたも永遠の命を得ることになるでしょう」。