2008年6月  4.イエスの脇腹
 「槍で刺し貫かれたイエスの脇腹を礼拝しながら観想することにより、わたしたちは、人々を救おうとする神のみ旨を感じとることができるようになります」(ベネディクト16世『霊的講話集』)。ルカ福音書の受難物語には、他の福音書には見られないイエスの心をとらえた固有のエピソードがあります。例えば、イエスのために嘆き悲しむ婦人たちに向けたイエスの言葉はルカだけが伝えるものです。
 「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け」(ルカ23・28)。
 無罪の罪で刑を受けようとする直前にも、イエスの心には不正に対す怒りや恨みはありません。むしろ、嘆き悲しむ婦人たちを慰め、励ますのです。イエスを傷つける人々の悪意がどんなにひどいものであっても、人々に対するイエスの愛と憐れみを乱すことはありませんでした。さらにルカは、この後すぐ、イエスが自分を十字架につける人々のために祈ったと伝えています。
  「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのかを知らないのです」(ルカ23・34)。
 これもルカだけが伝えるエピソードです。十字架上で苦痛に耐えながら、ご自分に苦しみを与える者のために祈っているのです。不正と暴力が極みに達しても、イエスの愛と憐れみは押しつぶされはしません。悪が深まれば深まるほど、逆にイエスのやさしさが浮かびあがってくるのです。
 ルカは、イエスの十字架の中に、極みのない神の愛の姿を見つめていました。神であるにもかかわらず、しもべの姿をとられたイエスの心を動かし、導いていたものは、尽きるのことのない愛の豊かさであり、それが苦しみの極みにおいて明らかにされたのです。
 私たちも、どんな暴力や憎しみにも、愛をもって応えようとするイエスの中に、私たちに向けられた神のやさしさを感じ取っていきましょう。