2008年9月  4.船員の無事を祈る
 私はかつてソ連の極東の港町で船会社の駐在員として働いていたことがありました。ある時入港中の会社の船で事故が起こりました。クレーンで吊り上げた鋼鉄のハッチのバランスが崩れて落下し、下にいた船員が下敷きになって大怪我をして、救急車で病院に運ばれたのです。船員は一命をとりとめたものの骨盤の複雑骨折のため緊急手術を受けました。手術後病室に行ってみると、ベッドの中で中年の船員が心細そうに縮こまっていました。それまで直接話をしたことがなかったのですが、彼は「医師も看護師もロシア語しか話せない、自分はロシア語がわからない」と不安そうに私に訴えるのでした。4月のまだ寒い日のことでした。医者から絶対安静を言い渡されていたので、船は貨物の積み卸しが終わると彼を置いて日本に帰って行きました。
 それから私が時々病室に見舞うと、彼は日本語が分かる人が来たと嬉しそうでした。手術後の経過は順調でしたが、しばらくすると便秘が始りました。骨盤の複雑骨折のためベッドの上で全く動かずにいたので胃腸の活動が極端に低下してきたのです。見舞うごとにますます苦しそうな表情になっていくので私は心配になっていましたが、看護師さんがいろいろ手を尽くしてくれたおかげでようやく処置できたのでした。彼はさわやかな表情に戻りました。窓から見える樹木の葉が太陽の光を浴びて緑に輝いていました。6月になっていたのです。ちょうど彼の乗っていた船が入ってきたので、彼はその船で日本に帰って行きました。もう何十年も昔の話です。けれども船員たちは今でも同じような危険の中で働いているのです。
 航海中にも、たくさんの危険があります。「嵐にあって船が傾いたままで航行していると、このまま傾きが戻らないのではないかと不安になってしまうのですよ」と、コンテナ船のベテラン船員が話してくれたこともありました。広い大洋で船が行き交う時、豆粒のようにしか見えない船を無線電話で呼び出して、互いに「ご安航を」と言葉を交わすのです。家族から遠く離れた、港や大洋での暮らしを思い、船員の健康と安全を祈りましょう。