2008年10月  5.キリスト者の共同体
 神は独り子を、おとめマリアに託して私たちにお与えになりました。そのイエスのみ心は、12人の弟子たちのうちに継がれ、聖霊の息吹をうけて、教会が誕生しました。独り、そして、12人へと拡がった神のご意志は、2000年の歴史を経て現代の教会に発展しました。「あなたの痛みは私の痛みであり、あなたの苦しみは私の苦しみである」「あなたの喜びは私の喜びであり、あなたの慰めは私の慰めである」という共感(コンパッション)、これはイエスのみ心の一つの現れでしょう。現代の教会に、このイエスのみ心が、受け継がれているでしょうか。

 一人と一人の関係の積み重ねが、共同体の全体の絆を作ります。言うまでもないことですが、12人の弟子たちとイエスの間は、深い絆で結ばれていました。イエスは弟子の一人ひとりと交わり、アンデレの苦しみを共感し、ヤコブの喜びを共感して共同体を育んだのです。弟子たちの間も同じです。ヨハネの痛みをペテロが共感し、シモンの慰めをマタイが共感して、豊かな共同体を生きていたのです。少しややこしい計算式ですが、13人のそれぞれの間に結ばれる糸の数は、12+11+10+9+・・・・+3+2+1となって、合計では何と78本にもなるのです。そしてその78本が共感の絆、コンパッションの絆となって、キリスト者の共同体の豊かさの源になっていたのです。

 いま、私たちが集う教会に、その姿が受け継がれているでしょうか。修道者の共同体に、教区の司牧者の共同体に、共感の絆で強く結ばれた豊かさがあるでしょうか。小教区の共同体ではどうでしょうか。私たちは、イエスのみ心を、自分が属する共同体で味わうことができているでしょうか。

 共感の絆は、祈り合う関係を育みます。いま、一番身近な人との間を共感の糸で結び、祈りあう関係を結んでみましょう。そして、その糸をほかの多くの共同体の仲間とも結び合うように、少しずつ輪を広げていくことを思い描いてください。そこにはきっと、キリスト者の共同体としての豊かさ、暖かさが感じられることでしょう。
写真: 中司 伸聡