2008年11月  2.人のために尽くした殉教者
 殉教者は神を徹底的に信じ、神のために全てを捧げました。同時に、徹底的に人のために尽くしました。
 キリシタン時代に、信者はヨーロッパで生まれたConfraternitas(コンフラリア)を参考にしながら、「組」を創りました。各地にリーダーとなる人が置かれ、日本人の信徒だけでも教会が存続できるよう体制を整えていました。こういった体制は、布教初期から各地に作られ、迫害のために司祭の巡回布教ができなくなったとき機能し、教会を存続させていました。「組」は、信心会であると同時に、人々が具体的に助け合い支え合う信仰共同体でもありました。その中で「聖母の組」、「御聖体の組」、「殉教の組」などさまざまな名前の組が知られています。
 長崎の「ミゼリコルディア(慈悲)の組」は有名でした。今回列福されるミカエル薬屋は、その会長(慈悲役)であり、長崎西坂で処刑されたときの罪状書きには、次のように記されていました。「この者は施しを集め、その金で殉教者の未亡人や孤児および宣教師を助けていた」。もちろん、それだけでなく、「ミゼリコルディアの組」はさまざまな形で老人や病人を助ける活動を行っていました。
 当時の公教要理であった「ドチリナ・キリシタン」にはマタイ25章31-40節のキリストの言葉に基づき、兄弟愛の身体的な実践として7つのことが勧められていました。「飢えた者に食を与える事。渇いた者に飲み物を飲ます事。肌を隠せぬものに衣類を与える事。病人と牢にいる者にいたわり見舞う事。行脚の者に宿を貸す事。とらわれ人の身を請ける事。人の遺体を葬る事。」そのほかに、「慈悲の所作」として信仰が弱い人々への助言や未信者への信仰の勧め等を実践することが書かれていました。
 「ミゼリコルディアの組」の活動で最も有名になったのは、ルイス・デ・アルメイダ師が豊後府内に建てた乳児院です。これは当時の日本で広く行われていた赤子殺しの現実に、アルメイダがショックを受けたからであるとされています。さらに1557年には外科、内科、ハンセン病科を備えた総合病院を建てました。これは日本で最も古い病院です。
 キリシタン時代の信者は、いろいろな工夫をして当時の人々のニーズに応えて、新しい方法で人の痛みを和らげました。そして信仰を守るために信者同士で立派に支え合っていました。21世紀の今、ストレスの多い社会で傷んでいる人々、孤独な人々の苦しみを和らげるため、また、グローバル化による政治経済問題などで悩む人々に生きがいや希望をもたらすために、私たちキリスト信者は何をすればよいでしょうか。
画: 本田利光(彫刻家)
恵みの風に帆をはって(ドン・ボスコ社)より