2008年11月 4.殉教者と秘跡 |
![]() ジュリアン中浦はその一人です。彼は巡察師ヴァリニャーノが選んだ4人の遣欧使節の一人でしたが日本にもどって、秀吉の誘いを辞してイエズス会に入会しました。しかし司祭になるために険しい道をたどりました。勉学の間、試験に失敗し留年しました。司祭叙階まで28年もかかりました。苦しい目にあっても、牧者として羊に自分を与え尽くす生き方をして耐え忍びました。 ジュリアンは「私は神の恵みによって、まだ十分な健康と堅固な精神をもっています。それで毎年告解する4,000人以上の信者が私に任せられています。一時といえども休息できません。この書簡さえ落ち着いて書き終えるのも困難な状況です。」と総長顧問マスカレニャス師に伝えています。そして「この大きな苦しみを神の愛のために」と言って亡くなりました。 他の殉教者も「ご聖体は賛美されますように」と唱えて死んでいきました。ご聖体への祈りは殉教者の遺言になりました。 迫害の最も厳しい時、司祭に会えない時ときでも、殉教の教会はゆるしの恵みを特に必要としていました。そして「コンチリサン」「コンチリサンのオラショ」をもって神のゆるしを得ていました。「コンチリサン」は「コンフィサン(告解)」の特殊なケースです。司祭に直接に告解できない時は、心からの悔い改めによって神は罪をゆるしてくださるという信仰をもっていました。心の準備をして「コンフィサン」できる司祭の来訪を待ち望んでいたのでした。 |