2009年1月  3.個の成長
 子どもの成長には目を見張るものがあります。特に幼い小さな子どもが育っていく写真を見ると、その成長ぶりは著しいものです。ところが、私たちが語学の勉強をしているときなど、1カ月もかけて猛烈に勉強していても、これという進歩を見ないこともあります。しかし、そのあとに、数日のうちに急にレベルがアップした経験もあります。成長とは不思議な営みです。

 身体の発達については、全身をまんべんなく動かさないと、健やかに成長できないと言います。知的レベルにおいても、いわゆる「一般教養」を勉強して広い見識を身につけていないと、せっかく一面において、専門的にすごく博識になったにしても、必ずしも人間的に豊かになったとは言えません。反対に、社会と人々にまったく役立たないばかりか、有害なものを発明することになるかもしれません。
 精神的な成長の目標は、円満な成熟した人間になることではないでしょうか。日本では二十歳で「法律的に」「成人」として見なされていますが、心理学者が指摘しているように、中年であっても、また高齢者であっても、まだ「未成年」のままである人は少なくありません。精神的な成熟のためには長い期間の「自覚」の過程を必要とします。人の話をよく「聞く」だけではなく、人の話に「聴いて」耳を傾け、自分なりに考え、判断し実行しながら、成熟したパーソナリティを形成していくのです。
 成長は、「いのち」の法則です。「肉体的」には限界があります。しかし「精神的」な成長に限界があるはずはありません。円満な高齢者になることは、恐らく人生の大きな目的と言えるかもしれません。「迷惑」をかけながらも喜ばれる老齢者、微笑を絶やさず、自分の得た「経験」と「知恵」を皆に無償で分かち合う高齢者は、まさに人類と家族の「宝物」であり、「成長」のシンボルだと思います。
 今この時に、自らがどのように成長しているかを確かめながら、自分も周りの人々も、昨日よりも今日、今日よりも明日、キリストにより近く生きることができるように、その恵みを願って過ごしてまいりましょう。