2009年2月  4.セカンド・ファミリー
 もし私たちが、世界中の人々を一つの家族だと感じることができれば、アフリカの人を自分の家族のように感じることができれば、平和は促進され、次世代を担う子どもたちを自分の子どものように可愛がって育てることができるのですが、そのためには、家族を超えた家族の拡がり、「セカンド・ファミリー」、そしてさらにそれが連なる「ヒューマン・ファミリー」を築くことが必要です。
 ある宣教師の親戚の子がスペインから訪ねてきました。1年ほど前に帰天した宣教師の姉の孫にあたるその子は、宣教師の友人のところに泊めていただきながら、京都、大阪、広島、長崎などを周った後に、1週間ほど東京の彼の共同体で寝泊りし、おおぜいの宣教師の仲間とお付き合いして帰国しました。スペインに帰る直前に、一つのことを分かち合ってくれました。
 「どうして宣教師たちは、退職して後にすぐにスペインに帰らないのか、初めて分かった」と言うのです。日本で使徒職に励む宣教師にとって、まるで家族のような仲間たち、つまり「セカンド・ファミリー」があることを発見したようです。修道者や聖職者たちは、血縁による家族・親族(ファミリー)から離れて生活しているので、それに代わる「セカンド・ファミリー」を持たないと、肉体的にも精神的にも、健康な人間として、人間らしく生きることができないと言えるかもしれません。
 その宣教師は、「私のセカンド・ファミリーは、日本全国はおろか、世界中に広がっている」と言うのです。インターネットとメールを通して交流している方々も「セカンド・ファミリー」だと言うのです。
 さて、「セカンド・ファミリー」は、修道者や聖職者にとってばかりではなく、一般の人々にとっても必要なのかもしれません。子どもが小さいとき、本当の家族だけでこと足りるかもしれませんが、いずれ、子どもは大きくなり独立していきます。夫と妻しか残りません。必ずどちらかの一方は、先に神のもとに旅立っていきます。一人ぼっちになりがちなのです。そうした状況では、やはり家族に代わる共同体、「セカンド・ファミリー」を持つのは人生で不可欠だと思います。
 「セカンド・ファミリー」を、一日のうちに作りあげることはできません。少しずつ育てていかなければなりません。そして、この考え方を積み重ねていくと、もしかすると「ヒューマン・ファミリー」というユートピアにたどり着くかもしれません。
 このユートピアは、イエスが呼んだ「神の国」です。「神の国」は描き出されたユートピアですが、そこに向って実際に歩むようにしなければなりません。もう既に、私たち一人ひとりは「ヒューマン・ファミリー」の一員として生活するように、招かれているのです。
 自分の周りの「セカンド・ファミリー」「ヒューマン・ファミリー」を意識しながら、日々を過ごしてまいりましょう。