2009年3月  4.安らぎの場を準備するおとめ
 今週は、イエスのために安らぎの場を準備するマルタとマリアについて、その奉仕の姿勢を味わいながら、私自身を主にささげて参りましょう。

 ベタニアの三人兄弟姉妹のマルタ、マリア、ラザロは、イエスの親しい友人で、たびたびイエスを自分の家に迎えていました。イエスは弟子たちと一緒にその家で泊まって、いろいろなことを分かち合いました。
 マルタは客を歓迎し、台所でもてなしを準備する行動的なおとめです。しかし忙しさのあまり、心を煩わせ、かき乱されています。マリアは物静かでイエスの足元に座って、その話に聞き入っていました。
 マルタは、すべてのもてなしを任せているマリアを恨み、自分が置かれているみじめさを感じて、イエスに「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」と言いました。
 イエスは「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している」と答えました。
 おそらく、人に安らぎをもたらすために人を受け入れ、人のニーズに答えて人を育むことも大切なことでしょう。また人の話、夢、望み、心配、怖れを聞いてあげることも大切です。しかし、そうしながら自分自身の平安、落ち着きなどを失ってしまえば大きな損になります。(ルカ10章参照)

 マルタとマリアのような女性は、神にとっても人々にとっても必要な存在です。人に安らぎをもたらすためにも大切なものです。二人とも愛に動かされています。
 ラザロが重い病気になった時のことです。マルタはイエスに人を遣わして「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と伝えます。そしてラザロが死んだ後、ようやくイエスが来られた時、イエスに向かって「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」「あなたの兄弟は復活するする」と話されるイエスに、マルタは「終わりの日に復活することは存じています。」と答えます。
 イエスは「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。このことを信じるか」と言われたとき、マルタは「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております」と宣言します。(ヨハネ11章参照)

 マタイ福音書におけるペトロの信仰の告白は有名です(マタイ16章)。しかしこのマルタの信仰の告白は、それと等しいものです。そして信心深い母親、祖母、女性が一般に及ぼす影響ははかりしれません。
 その後、イエスがまたベタニアに行かれて夕食に招かれました。マルタは給仕して、ラザロはイエスとともに食事の席に着いていました。そのとき、マリアは純粋で非常に高価なナルドの香油を持ってきて、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐいました。マリアはイエスをメシアとして認めてとても大切にしていました。マルタとマリアは愛から信仰へ、信仰から奉仕へ導かれました。