2009年5月 1.福音宣教と召命 |
イエスが、ガリラヤで福音宣教を開始する(マルコ1・14-15)と同時に行われたことがあります。それは「人間をとる漁師」(マルコ1・16-20)となる将来の福音宣教者を召し出し、育てることでした(マタイ4・12-22;マルコ1・14-20参照)。イエスは、ご自分に従っていた多くの弟子たちの中から12人を選び、「使徒」と名づけ、いつもご自分のそばに置いて教え導かれました。これが、イエスによって設立された、いわば最初の神学校共同体です。 後の世では、このような養成のための共同体は、ラテン語で“Seminarium”(セミナリウム)と呼ばれるようになりますが、「苗床」という語源を持つようです。イエスご自身が行われたように、福音を宣教することと、将来の福音宣教者を養成することは、いわば、教会の使命の両翼を担う重要な課題であり、不可分な関係にあるものでした。 信徒一人ひとりがイエスに招かれた弟子であり、福音宣教者としての自覚を持つことは重要です。とくに信徒は、社会の中で、福音宣教を推進する重要な役割を担っているからです。また、同時に、信徒一人ひとりは、イエスご自身が福音宣教に従事しながら、ご自分の後に続いて将来の牧者となる人々を召し出し、育てる務めを大切にされたように、教会の使命のために生涯奉仕する司祭や修道者の召命に関心を持ち、自分にできることをおささげすることは、イエスの模範に従う大切な務めです。 復活節第4主日にあたる5月3日は、「世界召命祈願の日」に当たっています。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」(ルカ10・2)と、イエスご自身仰せになっておられます。わたしたち自身もイエスとともに福音宣教のために働きながら、同時に、人々の救いのために生涯を奉献する司祭・修道者の召命が豊かに与えられるように祈り、自分にできることをおささげするように致しましょう。 |