2009年5月  4.観想修道者の証し
 聖書の中に、マルタとマリアの姉妹の話が出てきます(ルカ10・38-42)。マルタのほうは、いろいろのもてなしのため立ち働いていたのですが、マリアのほうはイエスの足もとに座って、その話に聞き入っていました。マルタがイエスに、「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」と頼むと、イエスからは意外な答えが返ってきました。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」(ルカ10・41-42)。
 私たちもしばしば、神の国の発展のため、とくに福音宣教や召命の促進のため、マルタのように忙しく立ち働かなければならないことがあります。しかし、そのような時に私たちは、ややもすれば自分本位になり、自分の力で何かをしようとしてしまいがちです。このような時にこそ、私たちはマリアのようにイエスの前にじっと座って、その話に聞き入る態度を見失ってはいけません。
 聖パウロは教えています。「アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です」(一コリント3・5-7)。
 観想修道者の生活は、「必要なただ一つのこと」を見つめている証しです。それは、教皇ベネディクト16世が教えているように「唯一、決定的に重要なことです。すなわち人生を生きるに値するものとする究極的な理由が存在する」こと、すなわち「神とその限りない愛」を見失わないようにしているしるしです。観想修道者の生活の証しやその隠れた祈りに感謝しながら、わたしたちも観想修道者の召命のために祈りましょう。