2009年7月  5.妥協すべきこと・すべきでないこと
 いま、結婚を考えている方々に対して、妥協すべきであり、また同時に、妥協すべきでないと、一見して対立するようなことを、お奨めをいたしたいと思います。妥協すべき事柄は、世間で結婚の条件として挙げられていることの、ことごとくすべてと言っても過言ではありません。身長はどのぐらい、体重は、目の色は綺麗なのか、などなど。更に、家柄や年収入も、妥協すべきことだと思います。家柄は、しばしば幸せの妨げになることもありますし、お金はたいした意味を持っていないと悟るのに、長い人生の経験が要るかも知れませんが、持っているとかえってややこしいものです。一般的に世の中で不可欠だと思われているものは、結局はどうでもいいようなことになると思うのです。

 妥協すべきでない事柄と言えば、それは心と関係のあるものばかりなのです。正直であり、自分を飾るのではなく、ありのまま自分自身を見せる姿勢などは、妥協したくありません。気まぐれで、ぐるぐる変わるようなタイプの人間はあまり好ましくありません。自分自身ばかりではなく、誰に対しても大切な気持ちで接する人間であってほしいのです。一般的に世の中ではどうでもいいようなもの、あまり顧みられていないものこそ、不可欠で妥協してはいけない事柄だと思います。このような言い方をすると、やはり世間離れしていると言われるかもしれません。古い話ですが、パウロが今から約2000年前に書いた文書を引用させていただくことにします。

 『愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。』(一コリント13・4-8)

 ありふれた言い方をすれば、互いに真に愛し合うことには、妥協はあってはなりません。
 結婚を考えている人へのメッセージの形をとって、教会が真の一つの家族となり、人類の和解の種となることができるようにと、パウロの願いに心を重ねて、思いめぐらしてみました。