2009年8月  1.平和への願い
 平和とは、戦いや争いのない状態のことでしょうか。その状態は何の力によって乱され、人々の幸せをいとも簡単に壊すのでしょうか。被爆地広島で、かつてヨハネ・パウロ二世がはっきりと表現されたように「戦争は人間のしわざ」なのでしょう。人間の弱さが、「強くありたければ武器を持て」との闇の声の智恵を得て、自分を守るための道具を自分よりも弱い他の人への脅しのために作り、その武器を使うようになってしまったのです。残念なことに、「弱いよりも強いほうが良い」ことにこの世の価値は定められているものですから、一度手に入れた武器を手放すことはできないのです。
 時は流れて、私たち人類は、強くあるべく武器として、原子核合成の力を利用した爆弾を手に入れてしまいました。敵である相手の中にある悪を滅ぼすためには、この武器、この兵器を使うことは正当な行為だと確信した国家が、自分たちの中でたくらみをすすめる悪の力に負けて、この恐るべき核兵器を使ってしまったのです。8月6日の広島で、8月9日の長崎で、私たちはこの悲惨な出来事を思い起こすのです。
 日本の司教団は核兵器の完全な廃絶を祈りの意向として掲げました。
 逆説的ですが、私たちキリスト者は、弱くあることで強いのです。イエスも、そして聖パウロも、弱さを受け入れることで平和への道が始まると説いています。「強くありたい」という誘惑を絶ち切って、平和への願いを祈って参りたいと思います。