2009年8月 2.ある被爆者の葬送 |
三度癌と闘病した父が被爆者であることを、皆さまご存じでいらしたでしょうか。戦争の体験は、息子である私にもほとんど語ることなく、記憶の扉を封印していたのでしょう。私には、佐世保の軍令部で、暗号解読の任務に就いていた8月9日に、双眼鏡を持って見張りに付いていたときに、長崎の被爆をレンズを通して目撃したことは話してくれました。同世代の親しい方には、被爆の後に長崎市内に赴き、惨状を目のあたりにしながら、人命救助に当たったことを語ったようですが、私は一度もその話を聴くことがありませんでした。 封印された惨状の光景は、復員してからの学問・研究・社会活動に大きく影響したことと、私は考えております。二度と戦争をしてはならないと、全体主義へと暴走していった政治のプロセスを、科学的に解明したいと考えたのでしょう。ご承知の通り、社会学での研究領域は、「政治」であり、「ドイツ」であります。著した本は、『権力と社会』であります。ここに父の平和への思いが託されていたと信じております。 一昨年の2007年8月9日、長崎が被爆して60年あまりが経過したその日に、平和への願いを神に祈る心を決めて、自ら望んでカトリックの洗礼を受け、イグナチオ・デ・ロヨラの霊名をいただきました。 本日の葬儀ミサ・告別式の後、父の柩を洗礼を受けました教会に移し、明日広島の被爆の日、8月6日に、教会より火葬場へと、葬送をすすめることにしております。明日は、近親者に限っての野辺送りとさせていただきますが、正午ころに火葬の予定でございますので、場所は離れておりましても、どうぞ、一時父への祈りをささげていただければ幸いでございます。 皆さま方に於かれましては、広島、長崎での平和の祈願に合わせて、平和を願い祈り続けた父を思い起こしていただければと存じます。 (告別式での喪主挨拶から) |