2009年8月  4.難民と戦争
 戦争や地域紛争は、そこで暮らす人びとを巻き込んで、多くの犠牲を強いています。「軍人は殺してもよいが、民間人の犠牲は出してはならない」という論理もおかしなものですが、無差別な爆撃などで、民間人にも多数の死者が出ているのが実情です。1945年8月6日、当時の広島市内には約34万2千人がいましたが、爆心地から1.2kmの範囲では当日中に50%の人が死亡し、同年12月末までに更に14万人が死亡したと推定されます。民間人の犠牲者です。長崎では8月9日、投下地点は当日の天候のため目標であった市街中心地から外れ、市北部の松山町の上空でした。当時、長崎市の人口は推定24万人、長崎市の同年12月末の集計によると被害は、死者7万3884人、負傷者7万4909人、罹災人員:12万820人、罹災戸数1万8409戸にのぼっています。犠牲者のほとんどが民間人です。

 いのちを失わずに済んだ民間人でも、住むところを失って難民と化します。難民のすべてが、戦争や紛争の原因で発生したわけではありません。「難民の地位に関する条約」の対象の難民は、「人種・宗教・国籍・政治的信条などが原因で、自国の政府から迫害を受ける恐れがあるために国外に逃れた者」とされています。これは政治難民と呼ばれますが、難民のもともとの定義は政治に限定されているわけではありません。歴史的には天災、飢餓や伝染病、国内外の紛争から逃れるために住む場所を追われた者が難民もしくは流民の多数を占めていました。また近年では経済的貧困から逃れるための理由での難民も現れています。今世界中には、3000万人ほどの難民がいると言われています。

 教皇は、「難民と移住移動者」のために毎日をささげるようにと、今月の意向を掲げました。今、困難な生活を強いられている難民と移住移動者のために、私たちが果たすべき責任は、その人びとを隣人として受け入れ、生活を分かち合う姿勢です。さらに、難民や移住移動者を生まないように、平和で安定した生活を創り出す責任も持ち合わせていることを、忘れないようにしたいものです。

 キリストの平和が、一日も早く実現され、家族と共に安心して暮らすことができる世の中を、私たちの手で築くことができますように。