2009年10月  1.宣教の支えである隠れた祈り
 10月1日は、「宣教の保護者」という称号を与えられている幼きイエスの聖テレジア(おとめ教会博士)の記念日です。聖女は、フランスの北部リジューにある、自分の家に近いカルメル会観想修道会に15歳で入り、そこから出ることなく9年後には、短い生涯を終えた方です。この小さきテレジアは、院長であった姉のポリーヌから、当時、自分のために祈ってくれる霊的な姉妹を与えてほしいと願う一人の宣教志願者モーリス・ベリエールからの手紙を手渡されました。
 それは、テレジアが亡くなる二年前のことでした。その手紙には次のように記されていました。

 「……わたしが神父になるよう望まれる神に従い、バイユー教区のソメールヴュの神学校に入って二年目です。また、現在最終決定を待っているところですが、パリ、バック通り(パリ外国宣教会)の神学校名簿に登録された、宣教志願者でもあります。
 しかし、まさに言おうとしていたことですが、神の恵みはわたしを聖なる場所に駆り立てることはできても、その決断以前の軽率な生活の跡を消し去ることができませんでした。いくらがんばっても、教会の精神を受け入れ、神学校の規則に従うのが、わたしには難しいのです。
 ですが黙想会中の今、一人の若い男性が実の姉と母の祈りによって突然回心し、神の元に立ち返ったという話を聞いたのです。突然、だれかが祈ってくれればわたしも完全に、そして大きく回心するだろうと思いました。カルメル会の共同体に手紙を書いて、一人の修道女にすべてをささげてもらうよう頼もう。わたしの魂を救うため、また神父、宣教者として、神からの召命に従う恵みを得るために―自分にそういい聞かせました」
(『モーリスとテレーズ‐ある愛の物語』、女子パウロ会刊 27〜28ページより)。

 後に、このモーリス・ベリエールは、白い司祭団の神学校に入り、アフリカの地で立派な司祭・宣教者として活躍することになります。小さきテレジアが天に召された1897年9月30日の翌日(10月1日)、モーリスは、テレジアの祈りとともにアフリカの地を踏み、第一日目を過ごすことになりました。
 小さきテレジアの取り次ぎの祈りのおかげで、弱さをもった神学生が、神の恵みの中で、徐々に立派な宣教者となっていくことができたのです。
 日々、自分をささげてくださる方々の隠れた祈りや犠牲が、宣教者を育て、また、その活動の上に神の恵みを注ぐ力となっていることを物語っている力強い証しではないでしょうか。