2009年10月  4.宣教の中心的な力である日曜日のミサ
 第二バチカン公会議の『教会憲章』は、教会がこの地上で人々の救いのために展開している活動を預言職、祭司職、牧職という用語で説明しています。それぞれ、よく言われている宣教活動、典礼活動、司牧活動に相当するものです。「それにもかかわらず、典礼は教会の活動が目指す頂点であり、同時に教会のあらゆる力が流れ出る泉である。…あたかも泉からのように、典礼、おもに感謝の祭儀から、われわれに恩恵が注がれ、キリストにおける人間の聖化と、神の栄光が最も効果的に得られる (10) 」のであると『典礼憲章』は教えています。
 教会が行う宣教活動、そして司牧活動の力は、典礼活動、おもにミサから流れ出てくるものであることを心に留めたいと思います。小教区の共同体であれば、とくに主が復活された日曜日(主の日)に行われる感謝の祭儀は、神のことばの食卓とキリストのからだの食卓にあずかって、大きな力を得る恵みの場です。キリストの教会は、そのはじめから今日に至るまで、主が復活された日曜日に、ともに集まって感謝の祭儀をささげることを、自分たちの大きな喜び、とうとい務めとしてきました。
 教皇ヨハネ・パウロ二世は、使徒的書簡『主の日―日曜日の重要性』の中で、次のように教えています。「どの感謝の祭儀においてもいえることですが、日曜日の集会の中では、ことばの食卓といのちのパンの食卓という二つの食卓で、復活した主との出会いがあります。……というのは、『聖書が教会で読まれるとき』、キリストが自らのことばのうちに現存しているからです。いのちのパンの食卓では、復活したキリストは、その受難と復活の記念(=聖体の秘跡)をとおして、真に、実質的に、いつまでも現存するようになります。そして、いのちのパンは、将来の栄光を約束するものとしてささげられます」(39)。
 わたしたちは、感謝の祭儀の二つの食卓を通して、復活された主イエス・キリストと出会い、キリストが語られた神のことば、そして何よりもキリストの受難と復活の記念である聖体の秘跡を通して、より深くキリストに結ばれるのです。このキリストとの深い出会いの喜びこそ、教会のすべての活動の力となるものです。教会のあらゆる力が流れ出る泉である、とくに日曜日の感謝の祭儀に積極的に参加することを大切にしながら、一週間の祈りと活動を、わたしたちとともに働かれる主イエス・キリストとともに、父である神におささげいたしましょう。