2009年11月  2.日本人の宗教心
 日本人は、どのような宗教を信じて暮らしているのでしょうか。自分が日本人でありながら、実体はよく分かりません。軍国主義下の第二次世界大戦前の日本は、宗教が国家の統制に利用された苦(にが)い体験をしていますので、戦後になって宗教は一種の「タブー」になってしまったのかもしれません。自分が何を信じているかを語らなくなってしまったのです。
 文部科学省の宗教統計調査によると、神道系が約1億700万人、仏教系が約8,900万人、キリスト教系が約300万人、その他約1,000万人、合計2億900万人となり、日本の総人口の2倍弱の信者数になってしまいます。自分がいずれかの宗教に帰属していることは意識していないのでしょうが、ほとんどの人は、神社の氏子で、同時に寺の檀家となっているのでしょう。キリスト教の洗礼を受けたとしても、氏子中の名簿から抹消されてはいないのでしょう。
 宗教実践はどうでしょうか。年の暮れに寺院に詣でて、除夜の鐘を鳴らし、年が明けて神社に初詣。家内安全、無病息災、商売繁盛、豊作豊漁を祈願して年が明ける。子どもの成長に合わせて、お宮参り、七五三、結婚式と冠婚を神社で祝い、葬儀、納骨ほかの葬祭を寺院に願って、彼岸の墓参、年忌法要での読経で先祖を拝む。きわめて平均的な日本人の暮らしです。そして、拝む瞬間はその宗教に帰依するのですが、日常生活はと言えば、宗教としての神道や仏教とは関わりのない時間を過ごしているのでしょう。
 11月の教皇の意向は「あらゆる宗教の信仰者がその生き方と対話を通して、神の名が平和をもたらすことをあかしするように」とすすめています。私たちが平和をもたらすために対話をはじめようとするときに、日本の宗教の実体を憂慮せざるを得ません。もちろん真剣に神道、そして仏教の信仰のもとで生活を整え、平和のために働いている方はたくさんおられるのです。その方々と、世界平和のために、宗教を超えた集いを開催し、私たちキリスト者もともに祈っています。しかし、大多数の日本人は、宗教そのものから離れて、物質主義の競争社会での生活に明け暮れて、心に平安を欠いて、空しい日々を過ごしているのです。
 本来、日本人は、信心が豊かな国民です。農耕社会の歴史の中で、ともに働きともに祈る暮らしを続けてきました。私たちは、キリストの死と復活に多くの人を招き入れる福音宣教の使命をいただいていますが、同時に、多くの日本人が心を神々や仏に重ねて祈祷・念仏する素朴な宗教心を取り戻すことができるように働くことにも、招かれているはずです。神々や仏が日本人の心に響きますようにと、心から祈ります。