2009年11月  3.目の前の出来事
 数年前のことです。インド・コルコタの街角で、制服を身につけソックスと皮靴を履いた私立の学校に通う小学生が、アイスクリームを食べていました。その食べ残しのコーンを道に捨てたとき、近くの建物の陰から、2、3人の子どもが飛び出てきて、そのコーンを奪い合っていた光景が、まぶたに焼き付いてはなれません。結局、一人の子がその食べ残しのコーンを手にとってすぐに、むさぼるようにそれを口に運びました。衝撃的な瞬間でした。捨てた小学生は、奪い合う子どもたちに対して、全く関心を寄せていないことに気づいた瞬間だったからです。
 いま、私たちが暮らすこの日本でも、コンビニで賞味期限の切れた弁当が捨てられると、それを拾って口に運ぶいわゆるホームレスの人たちが現れます。たとえその光景を目にしたとしても、コーンを捨てた小学生のように、私たちは無関心のまま通り過ぎているのではないでしょうか。まるで、テレビや映画の画面でも見ているように、私たちに関わりのない外の出来事として、平面的に視界に映っているだけで、ごみ箱をあさって口に運ぶ人の息づかいも、弱々しい心臓の鼓動も、生きている人間のものとして受け止めていないのでなないでしょうか。東京の新宿の喧噪の中で、路上に横たわる野宿者は、目の中には入らないのでしょうか。
 生活困窮者が家もなく食べ物もなく路上で生活している現実は、この日本の、私たちの面前の出来事です。今月の「きょうをささげる」の意向で教皇は、「創られたすべてのものに対する配慮」を呼びかけています。その中でもっとも深く、また心からの配慮をなさなければならないのは、人間なのです。どんなときにも、目の前の出来事から決して目をそらさずに、目の前の人に深い心からの配慮をなさったイエスにならい、無関心さを装うことの誘惑に負けないで、そのとき、その場で私ができることを試みる一日が過ごせるようにと、自分自身を神と人びとにささげて、この一週間を過ごして参りましょう。