2010年1月  5.聖地の平和と諸宗教対話
 エルサレムは、私たちキリスト教徒にとっての聖地であるばかりではなく、ユダヤ教徒、そして、イスラーム教徒の聖地でもあります。このことは、何を意味しているのでしょうか。この3つの宗教が信じる神は、同じ神です。その神を賛美し、神を礼拝する方法や、神の望みを私たち人間がくみとる霊的な交わり方が、異なっているのです。
 また、キリスト教では「プロテスタント」と一口に言われますが、ルーテル派、バプテスト派、カルヴァン派、メソジスト、ホーリネスなどなど、実にたくさんの会派があります。さらに、バプテスト派の日本での教会の組織を見てみると、そこには「日本バプテスト連盟」「日本バプテスト同盟」「沖縄バプテスト同盟」「日本キリスト教団新生会」「日本バプテスト教会連合」「日本バプテスト宣教団」・・・などなど、いろいろなグループがあるのです。そして、信じる神は同じなのですが、神を賛美し、神を礼拝する方法や、神の望みを私たち人間がくみとる霊的な交わり方が、少しずつ異なっているのです。このことは、何を意味しているのでしょうか。
 キリスト教、ユダヤ教、イスラームのいずれも、また、キリスト教のカトリック教会、プロテスタント諸派も、どの宗教を信仰していても、私たち人間は、神についてすべてを知り理解することはできません。その不完全さが、教義、教派の違いを生んでいるのです。どの宗派がより真実に近いかを議論したところで、神の目からは五十歩百歩なのでしょう。
 私たち人間は、神についてすべてを知ることができない、不完全な存在であることを素直に受け止めて、不完全な私たちが、ともに神を賛美し、神が望んでおられる平和の実現に向けて歩む姿勢が、何よりも大切なことなのではないでしょうか。
 エルサレムを聖地とする3つの宗教と、他の宗教の違いについても、人間が不完全なゆえに真実が見えないために、異なるかたちで神を賛美する仕方の違いを生んでいるのかもしれません。日本の伝統宗教である仏教や神道との違いは、人間が不完全であるがゆえかもしれません。実に、日本の仏教のなかのさまざまな宗派の違いについても、同様に考えることができるのでしょう。
 聖地の平和を祈りながら、諸宗教諸教派との交流について思いを致して、この一週間を過ごしてまいりましょう。