2010年2月  1.識者による誠意ある研究
 先日、遺伝子学者が書いた『「祈り」のすすめ』という本を、一般書店で見つけました。医者の多くは、難しい大手術の前にはかならず、何かしら人間の能力を超越するものに向かって「祈り」をささげるのだそうです。そうすることで、遺伝子の働きが良くなり、実際に成功を導き出す確率が高くなるという調査結果をふまえた考察でした。
 科学が進歩し、特に人間の身体内部の解明がミクロの次元で進むなかで、ほとんどのことがすでに知られていることのように思うのはあやまりです。研究が進めば進むほど、人間には分からない、手におえない領域が無限に広がっていることを意識させられます。そして、本物の医学者は、「ほとんどなにも知らない自分」の無力さを痛感し、大きな手術の前に「祈る」のです。 
 ここでの「祈り」は、既存宗教の「神」や「仏」ではないかもしれません。また、キリスト教徒の「祈り」ではないかもしれません。しかし、人間は、謙遜に自分の非力を認めたとき、自然と「なにか偉大なもの」(サムシング・グレート)に対面し、安全を懇願せずにはおられない存在なのでしょう。「患者を目の前にして奇跡を願わない医者はいない」とテレビドラマの主人公は静かに語っていました。言いかえれば、「苦しみを抱えた人を前にし、その解決を委ねられたとき、祈らぬ人間はいない」と言えるかもしれません。
 今月、私たちは、医者ばかりでなく科学者全般、そして国を統治するほどの力をもつエリートたちが、真理を探究し、誠実に生き、神を理解する道を見いだすよう祈ります。能力を与えられ、人類の進歩に大きな責任をもつ人々が、自己の能力におぼれ、人間の力を過信し、何でも解決できるとする傲慢な姿勢をもつことがないように、私たちは祈らなければならないのです。本物の真理の探究者たちは、必ずや「大いなるもの」すなわち「神」の存在を意識し、その前で、謙遜に導きを願います。そうすることで、人間のおごりからくる多くの過ちが回避され、未熟ながらも人類は少しずつ「神」の存在に近づくことができるのです。