2010年4月  2.原理主義
 主の復活を喜びのうちに迎えた私たちは、死を滅ぼして勝利の栄冠をいただいた主イエス・キリストに倣って、自らをささげることができるように祈り願って、毎日を過ごしてまいりましょう。
 さて、教皇は今月の一般の意向に「原理主義と急進主義」を掲げました。よく耳にするこの「原理主義」とは何でしょうか。とくに「イスラム原理主義」と「爆弾テロ」が結びつけられて報道されるので、キリスト教会とは関係のない事柄のように受け止められがちですが、この「原理主義」はあらゆる宗派、教派の宗教において、悪のたくらみに負けて陥りやすい、危険な傾向なのです。ここでは「原理主義」についての基礎を学び、その考え方に心をひかれないように、強く祈り求めてまいりましょう。
 「原理主義」とは、英語のファンダメンタリズム(fundamentalism)の訳語ですが、そもそも1900年初頭にアメリカで生まれた保守的キリスト教の「キリスト教根本主義」を指す語でした。その後、イスラム原理主義の台頭によって用語の意味が派生し、宗教上の原典を絶対視する主張・態度を指す用語として用いられるようになりました。つまり、原典、キリスト教であれば聖書、イスラム教であればコーランに記述されたことが、歴史的事実であって全く誤りがないものと見なし、信仰の目でそれを読み理解して神のみ旨を探し求める態度を否定します。しかも、生活様式や日常の行動を、その原典の教えどおりに厳しく規制して、熱心にその教えを生きようとしますから、他の人びとの意見に耳を貸さずに、狂信的で過激な傾向を増していくのです。
 ベネディクト16世は、2006年の「世界平和の日のメッセージ」で、虚無主義とともにこの原理主義について述べています。「虚無主義と原理主義はともに、真理との誤った関係に陥っていることが分かります。虚無主義者は、真理の存在そのものを否定し、原理主義者は真理を強制することが可能だと主張します。双方の起源と文化的な背景は違っていても、両者とも、人類と人命、そして究極的には神ご自身をもなおざりにしているのです。実に、両者に共通するこの悲劇的な結果は、神についての完全な真理を歪曲していることから生じています。虚無主義は神の存在と歴史への摂理的な介在を否定します。狂信的原理主義は、愛にあふれ、いつくしみ深い神のみ顔を醜く損ない、自らの姿に似せた偶像にすり替えてしまいます。現代のテロの現象の原因を分析する場合には、その政治的、社会的要因だけでなく、さらにその深層に潜む文化や宗教、イデオロギーによる動機も考慮しなければなりません。」
 私たちも時として陥りやすい「原理主義」的な傾向に対して常に注意を払い、寛容と対話の心をもって平和の実現に向けて歩んでまいりたいと思います。