2010年4月  4.新しいいのちの道
 「週の初めの日の明け方早く、(婦人たちは)準備しておいた香料を持って墓に行った。見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。『なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。』」(ルカ24・1-7)

 罪によって自ら神との絆を断ち切ってしまった人類にとって、墓はすべてのものの終着点です。この地上に存在するありとあらゆるものが、一つの例外もなく墓に至り、結局虚しく滅んでいく。神を見失った私たちは墓に至ることを恐れ、目を背けて前を見ないように努め、目をつぶって夢を見続けようとし、行き先を忘れようとして快楽にふけり、ありとあらゆる手段を講じてそれを避けようと右往左往し、他者を先に墓に追いやることによって自分が墓に至るのが多少先に伸びたかのような気分にひたり、あげくのはてにそれらのあらゆる悪戦苦闘が結局無駄に終わることを始めから知っています。どのような夢を地上に描こうとも、神から離れてしまった私たちの生は、つまるところあらゆる側面で絶望と死に支配されていたのです。

 全人類の救いを告げる喜びの第一報は「主の墓が空であった」という婦人たちの証言から始まります。神と私たちとの間に横たわっていた罪という深淵を、主イエズス・キリストは十字架の愛によって埋め尽くし、絶望の源であった墓を突破して、永遠のいのちへの道を開いて下さいました。もはや墓は私たちの終着点ではなく、永遠のいのちへの門です。主の限りない愛によって自らの罪を赦しという恵みに変容していただいた私たちは、主の十字架と死に結ばれて、主とともに墓を突破し永遠のいのちの喜びに至ります。主の復活は私たちの人生のストーリーを根底から書き換えます。主キリストを通して神に結ばれた私たちは、神の国の至福にあずかる確固とした希望に励まされ、あらゆる地上の労苦が永遠のいのちの喜びに結実することを信じ、神と他者への愛を至高の規範とし、目を見開いて主が照らして下さる真理の道を喜びと感謝をもって歩み続けるよう呼びかけられています。

 主の復活。世々に至るまで人類を照らす光となったこの真理を祈りの中で深く味わいたいと思います。主によって開かれた新しいいのちの道を、私たちが確かな足取りで一歩一歩踏みしめて行くことができるよう聖霊の恵みを願いましょう。